本殿が鎮座するのは、風光明媚な瀬戸内海に浮かぶ小さな島。
この島に鎮座するのが、子どもの守り神として知られる津嶋神社(つしまじんじゃ)です。
津嶋神社のはじまりは江戸時代・文禄年間。
人影のない浦に女の歌う声が聞こえたため、村人がいぶかしんでいたところ津嶋神と名乗る海の神さまから御神託がくだされました。「今よりこの島に祀るべし。さすれば、村の子供、牛馬を病から守るなり」。このお告げに従って島に鳥居を立ててお祀りしたのが起源と伝えられています。
二代目安藤広重の浮世絵にも描かれた津嶋神社は、時を経て牛を飼う人が減ったことで大正時代には子どもの守り神として全国に知られるようになりました。
本殿、拝殿などが建つ島に入れるのは、毎年8月4日、5日の夏季例大祭がおこなわれる2日間のみ。この日は10万人もの親子連れの参拝者が訪れます。
普段は島の対岸にある境内から島を遙拝するのがならわし。
七五三の日も、対岸の祈祷所で祈祷をあげてもらえます。
日にちは11月8(土)、9(日)、15(土)、16(日)と限られるので早めの予約がおすすめです。
木に咲く花のように気高く美しいことが名前の由来になっているコノハナサクヤヒメノミコトは、壮絶な出産のようすが伝えられています。
天照大神の孫・ニニギノミコトと結婚したものの一夜で身ごもったために、浮気を疑われることになったコノハナサクヤヒメノミコト。「何があっても子どもが無事に生まれれば、あなたの子です」と誓約を立てた上で産屋の周りに火を焚いて、その中で出産することで疑いをはらしたという一節です。
このときに三柱の神さまが無事に生まれたことにちなみ、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を御祭神にお祀りする尾張冨士大宮浅間神社(おわりふじおおみやせんげんじんじゃ)は、子どもの守護神として崇敬を集めてきました。虫封じや学業向上、安産、子授けなど子どもへの御利益が伝わるため、たくさんの親子が参拝に訪れています。
また、尾張冨士大宮浅間神社は、“預け子発祥の神社”としても知られる神社。
預け子とは、子どもが丈夫に成長するまでいったん神さまに預けるという風習です。実際に神社に預けるわけではなく、「神の子」として成長を願うというもの。5月5日には預け子大祭もおこなわれ、子どもの無事成長が祈願されています。
子育て、子どもの成長を守護する御神徳が伝わるのは、京都御所の西側に位置する護王神社(ごおうじんじゃ)。和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)と清麻呂公の姉君・和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)をお祀りしている神社です。
和気清麻呂公は、奈良時代の皇室が激震した、道鏡事件の中心人物。
道鏡事件とは女帝・称徳天皇の寵愛を受けていた弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を「天皇にせよ」という神託がくだったとことが発端。陰謀のニオイがぷんぷんするこの神託を、宇佐神宮(うさじんぐう)に確かめに行ったのが清麻呂公です。権力者の道鏡にこびず「天皇家の人間以外は皇位につくべきではない」という神託を持ち帰ったため流罪になり、道鏡失権後に復職、平安京遷都を進言した人物としても知られています。
護王神社が子育て、子どもの成長守護の御神徳が伝わるのは、この清麻呂公の姉君・広虫姫によるもの。護王神社では子育て明神として崇敬を集めています。
広虫姫は、孤児を自宅に引き取り、夫葛木連戸主(かつらぎのむらじへぬし)とともに養育しました。その数なんと80人以上。アンジェリーナ・ジョリーもびっくりの慈善家です。広虫姫が、称徳天皇の前に仕えていたのは母君にあたる光明皇后。光明皇后は、貧しい人や孤児を助ける施設「悲田院」、庶民のための病院&薬局にあたる「施薬院」を作るなどの活動をしていたので、同じく皇后に仕えていた戸主とともに夫婦で影響を受けたのではないでしょうか。
道鏡事件の影響で清麻呂公とともに流罪になったものの、復権して都に帰ってからも生涯を閉じるまで孤児の世話を続けたと伝えられています。