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特集 vol.286
子ども時代を思い出す!?
昔話ゆかりの神社
長い間語り継がれてきた、たくさんの昔話。そのなかから今回は『金太郎』『一寸法師』『桃太郎』『竹取物語』にまつわる伝説が残る神社を紹介します。

【神奈川・箱根町/公時神社】
御祭神はあの金太郎!


山のなかですくすく育った、力持ちの『金太郎』。のちに立派なお侍さんとなるサクセスストーリーの主人公は、男児の健やかな成長を願う五月人形の定番モチーフにもなっています。金太郎は、山の動物たちが友達で、クマと相撲をとっても勝ってしまう強い男の子。強い力と優しい心を持った金太郎は、その力量を認められて京都へ行き、立派なお侍さんになった、という伝説があります。これが昔話『金太郎』です。
金太郎が育った山といわれている場所が、童謡「金太郎」の歌詞にも登場する「足柄山」。温泉の街として知られる神奈川県箱根町にあります。足柄山というのはひとつの山の名前ではなく、金時山から足柄山地の足柄峠にかけての山々の呼称です。足柄山には金太郎伝説が残る場所がいくつもあります。


金時山は標高1212m。天候にもよりますが、山頂から美しい富士山が見えます。

金時山の麓には、公時神社(きんときじんじゃ)があります。お祀りしているのは坂田公時命(さかたのきんときのみこと)です。幼名は「金太郎」。金太郎伝説の主人公です。
坂田公時命は、平安時代中期の武将・源頼光に仕えた四武将のひとりとして、『今昔物語集』や『古今著聞集』にも登場。酒呑童子(しゅてんどうじ)退治にも同行した、勇猛な武将だったと伝えられています。
公時神社では、毎年子どもの日には「公時まつり」が開催され、国の指定文化財に指定されている湯立獅子舞が披露されています。境内から金時山の山頂までは約3km。途中には奥の院や、金太郎が使用したマサカリを奉納していると伝わる祠、宿石(やどりいし)などがあり、参拝後にハイキングを楽しむことで、昔話『金太郎』の世界をより楽しむことができます。


金時山の東麓にある公時神社。仙石原地区の鎮守・諏訪神社の境外末社で、子どもの守り神としても親しまれています。

【京都・京都市中京区/武信稲荷神社】
一寸法師が暮らした場所


『金太郎』のほかにも、主人公が都へ出て出世する昔話はありますが、有名なのは『一寸法師』でしょうか。
一寸法師は、都で大臣に仕え、その娘であるお姫さまを鬼から守ったミニマムサイズのヒーローです。一寸は約3cmですから親指サイズ。その小ささから、モデルは国作り神話でオオクニヌシとともに活躍した神さまのスクナビコナでは、ともいわれています。
京都にはその一寸法師が暮らしていた場所とされる神社があります。坂本龍馬夫妻ゆかりの神社としても有名な武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)です。
創建したのは藤原良相(ふじわらのよしすけ(よしみ))。平安前期の貴族で、藤原氏繁栄の礎を築いた人物です。一寸法師の仕えた「大臣」はこの人だという説があります。それというのも、童謡で「京は三条の大臣殿」とうたわれているから。藤原良相は西三条大臣とも呼ばれていたのだそうです。
創建当時、武信稲荷神社付近のエリアには、平安貴族の邸宅や平安京の中央諸官庁がありました。藤原良相の屋敷もここにあったといわれています。住み込みで仕えていた一寸法師が暮らしていたのも、このあたりだったというわけです。


後世、藤原武信という人物が熱心に信仰していたことから武信稲荷と呼ばれるようになったと伝えられています。
写真提供:武信稲荷神社

『一寸法師』の物語のラストでは、逃げていった鬼が落としていった打ち出の小槌の力で、一寸法師の背はグングンと高くなります。そんな一寸法師にあやかって、子どもが大きく立派に育つように祈願する人も。また打ち出の小槌で金銀財宝を打ち出して末永く繁栄したことから、金運・開運・出世を願って参拝する人も後を絶ちません。


一寸法師をモチーフとした絵馬やお守りなどの授与品も豊富!
写真提供:武信稲荷神社

【岡山・岡山市北区/吉備津神社・吉備津彦神社】
桃太郎伝説の残る神社


鬼を退治する話といえば『桃太郎』も有名です。桃太郎伝説は日本各地に残っていますが、なかでも知られているのは、桃の産地・岡山ではないでしょうか。
岡山の『桃太郎』を語る上で欠かせないのが温羅(うら)伝説です。古代、この地域は吉備国(きびのくに)と呼ばれていました。吉備国の統治者だったと伝わるのが、異国の鬼神・温羅。温羅を退治して吉備国を平定したのが古代の皇族・吉備津彦命(きびつひこのみこと)です。“鬼”を退治したことから、吉備津彦命が『桃太郎』のモデルだと考えられています。この吉備津彦命を祀っているのが、備中一宮の吉備津神社(きびつじんじゃ)と備前一宮の吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)です。そして吉備津彦神社の境内にある温羅神社(うらじんじゃ)では、温羅の和魂(にぎみたま=神霊の穏やかで平和的な側面)を祀っています。


吉備津彦神社の境内末社、温羅神社。鬼とされる温羅ですが、技術や文化をもたらしたことから尊敬されてもいました。
(C)写真AC Takacchiさん

『桃太郎』の鬼は悪役ですが、温羅にはユニークで印象的なエピソードがあります。吉備津神社の御竈殿(おかまでん)で今も行われている「鳴釜神事」の起源です。
吉備津彦命に退治された温羅は、首だけになっても唸り続けたそう。あまりにうるさいので釜の下に埋めましたが、それでも唸り声はやみません。困り果てていた吉備津彦命の夢に、ある日温羅の霊が現れました。そして、妻に釜を炊かせれば、唸るのを止めて、釜を鳴らして吉凶を告げよう、と約束しました。こうして「鳴釜神事」が行われるようになったのです。
「鳴釜神事」は、祈願したことが叶えられるかどうかを炊き上げる釜の音で占う特殊神事です。吉備津神社で祈祷を受ける際にお願いすると受けられます。あの桃太郎の鬼が吉凶を占ってくれるユニークな神事、一度は体験してみたいですね。


吉備津神社の「鳴釜神事」。豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛もここで吉凶を占ったそうです。
写真提供:岡山県観光連盟

【奈良・広陵町/讃岐神社】
竹取物語の舞台に建つ神社


昔話の主人公は勇ましいヒーローだけではありません。『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)」と書かれている『竹取物語』には、クールビューティーなヒロインが登場します。
『竹取物語』の冒頭には「今は昔、竹取の翁といふものありけり。(中略)名をばさぬきの造(※「さかきの造」説もあり)となむいひける。」とあります。さぬきの造とは、現代風にいえば「さぬき村の長」というところでしょうか。物語の舞台はこの「さぬき」という場所になりますが、現在のどのあたりなのか定かではありません。諸説あるうちのひとつが、讃岐神社(さぬきじんじゃ)がある奈良県広陵町です。


奈良県広陵町には「かぐや姫のまち」と書かれたマンホールのふたも! 町のいたるところで見られます。
(C)写真AC 佐保美堂@奈良さん

讃岐神社の鎮座地は「三吉(みつよし)」ですが、かつては「散吉」と書いて「さぬき」と読んでいました。この地域は、讃岐国(現在の香川県)の氏族・斎部氏が、朝廷に竹細工を献上するために移り住んだ場所。故郷の神さまを勧請したのが讃岐神社だと考えられています。
『竹取物語』はフィクションですが、かぐや姫に求婚者する貴公子たちは、実在の人物がモデルだというのが定説。モデルとされる人物は、いずれも壬申の乱(672年)の功臣です。彼らが足繁く通ったかぐや姫の住まいも、当時の都の付近と考えるのが自然。讃岐神社が『竹取物語』の舞台といわれるゆえんです。
神社の近くには、「かぐや姫」の名付け親、三室戸斎部秋田(みむろとのいんべのあきた)が住んでいたとされる「みむろの丘」もあります。ロマンチックなかぐや姫の物語に想いを馳せて散策してみてはいかがでしょうか。


讃岐神社は、巣山古墳近くの竹やぶに囲まれて鎮座しています。
写真提供:奈良県広陵町