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特集 vol.280
世界遺産特集J
最古の神社建築が残る、
宇治上神社
名茶の産地や『源氏物語』の舞台として知られる、京都の宇治。その中央を流れる宇治川沿いには2つの世界遺産があります。そのひとつ、宇治上神社の魅力に迫ります。

うさぎに縁の深い宇治


JR京都駅から電車で約20分。
京都市の南隣にある宇治市は、山に囲まれた緑豊かなエリアです。中央を流れる宇治川を中心に、平安貴族の別荘地として栄えてきました。きらびやかな平安文化の象徴ともいえる平等院は10円玉に刻まれており、世界遺産としても有名ですが、宇治にはもうひとつ世界遺産があります。宇治川を挟んだ対岸にある宇治上神社(うじかみじんじゃ)で、御祭神は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)とその父・応神天皇、異母兄・仁徳天皇です。
このうち菟道稚郎子は、一説では『源氏物語』宇治十帖に登場する八の宮のモデルともいわれています。宇治十帖に登場する八の宮は時の帝の異母弟で、政争に巻き込まれて敗れ、宇治に隠遁した人物。宇治で暮らしたとされる菟道稚郎子にも、皇位をめぐる悲運のエピソードがあるのです。


宇治川にかかる朝霧橋のたもとにあるモニュメント。宇治十帖のヒロイン浮舟と匂宮が小舟に乗って宇治川へと漕ぎ出すシーンがモチーフに。
写真協力:宇治市

『日本書紀』によると、聡明だった菟道稚郎子は父・応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、のちの仁徳天皇)に皇位を譲るため、自ら命を絶ってしまったのだそうです。この死を嘆いた仁徳天皇は、菟道稚郎子が住んでいた離宮へ赴き、菟道稚郎子を手厚く葬ったと伝えられています。
「宇治」はかつて「うさぎ」の「みち」という漢字で、「菟道」とも表記されていました。そんなうさぎと縁の深い宇治では、いろいろな場所でうさぎモチーフに出会えます。宇治上神社の授与品にも愛らしい「菟(うさぎ)みくじ」があります。


パステルカラーがかわいい宇治上神社の「菟みくじ」。ひもをひっぱるとおみくじが出てきます。

日本最古の神社建築!


宇治上神社は明治時代まではすぐ近くにある宇治神社と対をなす一体の神社だったともいわれています。創建不詳ですが、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があり、この2座はそれぞれ宇治上神社と宇治神社を指すと考えられていることから、古くから信仰されてきた神社であることがうかがえます。
拝殿や本殿は、その建築様式から古い建造物であることは推測されていましたが、史料は残されていませんでした。建立時期が明確になったのは、2003年12月から2004年2月にかけておこなわれた年輪年代測定法による調査です。使用されている木材を調べた結果、本殿は平安後期の康平3年(1060年)頃、拝殿は鎌倉時代に建立されたことがわかり、現存最古の神社建築であることが判明しました。


建保3年(1215年)頃に建てられた拝殿。当時の住宅を類推できる建造物としても注目されているそうです。

本殿は、3棟の内殿(左殿、中殿、右殿)を一列に並べ、共通の覆屋(社殿を保護するため、外側を囲む建物)で覆われています。

現存する最後の宇治七名水など見所たっぷり


宇治上神社の見所は、最古の神社建築だけではありません。
本殿の東側には、注連縄(しめなわ)を張った大きな石があります。これはかつてお社があった場所(社跡)をあらわすしるしだそうです。日本には昔から、神聖な場所を間違って踏んだりしないように大きな石などを置いて敬う慣わしがありました。宇治上神社にあるこの巨石は、「天降石」「岩神さん」の愛称で親しまれ、願かけスポットになっています。上にあるたくさんの小石は参拝者によって積まれたもの。「落とさずに積むと願いが叶う」との噂が広まった結果、今のような姿になっているそうです。


宇治上神社は特に学業成就の御利益でも知られるため、合格祈願に訪れて小石を積む参拝者も。

宇治といえば名茶の産地として知られていますが、おいしいお茶に欠かせないのがおいしい水です。かつて宇治にはいたるところに名水が湧き出していたといいます。なかでも、「公文水(くもんすい)」「法華水(ほっけすい)」「阿弥陀水(あみだすい)」「百夜月井(ももよづきい)」「泉殿(いずみどの)」「高浄水(こうじょうすい)」そして「桐原水(きりはらすい)」が特に有名で、宇治七名水と呼ばれていました。このうち6つはすでに枯れてしまいましたが、宇治上神社境内の「桐原水」だけは、今もこんこんと湧き出ています。


現在は手水舎でお清めの水として使用されている「桐原水」。そのまま飲むことはできませんが、6月1日の献茶祭では煎茶をいれる神事に使われています。