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特集 vol.275
いつかは行ってみたい
集合!日本一の神社H
神社の「日本一」をご紹介するシリーズの第9弾。今回は、ミニ鳥居くぐりや日本一の黄金大神輿、日本唯一の料理の神さまをご紹介します。

【熊本・宇土市/粟嶋神社】
日本一のミニ鳥居くぐり


熊本県中央部、島原湾近くの粟嶋神社(あわしまじんじゃ)には、ほふく前進でないとくぐれないほど小さい鳥居があります。くぐるとご利益がいただけると伝わる石造の鳥居です。
粟嶋神社の御祭神は、日本に医薬を広めた少彦名命(すくなひこなのみこと)。ミニ鳥居の誕生エピソードにも、この御神徳が深くかかわっています。
今から200年以上も前の江戸時代後期、重い病に苦しんでいた人が、粟嶋神社での祈願により、奇跡的に完治したのだそうです。その感謝として奉納されたのが、石造の小さな鳥居でした。
当時は農作業の多くを人力に頼っていた時代。足腰の痛みや体調不良に悩む人が現在よりもたくさんいました。そんな人々が腹ばいになってこのミニ鳥居をくぐると、自然と腰がのびて足腰の痛みが和らぐといううれしい効果もあったそう。いつしか「腰延べ鳥居」と呼ばれるようになり、無病息災や幸せを願ってミニ鳥居をくぐる参拝方法が人気となりました。


建立は約300年前、「粟嶋さん」の愛称で親しまれています。御祭神の別名は粟嶋大明神で、女性の守り神とされ、子宝や安産、婦人病の平癒を願う女性などに人気です。
(C)熊本県

元祖ミニ鳥居は、事故防止のため現在はくぐれませんが、本殿隣に安置されています。現在ミニ鳥居くぐりができるのは、本殿の前。大きな鳥居の足元、本殿の前に高さ70cmにも満たない石造のミニ鳥居が3基あります。願いをこめてこの鳥居をくぐることで心身が癒され、なんともいえない開放感に満たされて気分も爽快に。病気平癒や厄除け・災難除け・子授け・安産などの御利益がいただけるといわれています。
境内には、合格祈願のミニ鳥居もあります。平成18年(2006年)に奉製されて以来、「狭き門をくぐり抜けたい」「難関突破したい」と願う学生などに人気です。学業成就や合格を願って参拝した多くの人が、合格鳥居くぐりに挑戦しています。


敷物があり、チャレンジしやすいミニ鳥居。くぐるスペースは縦・横30cm程度なので服装にはご注意を。トップスをインできるパンツスタイルでの参拝がおすすめです。
(C)熊本県

【東京・江東区/富岡八幡宮】
BIG&ゴージャス!日本一の黄金神輿


赤坂・日枝神社(ひえじんじゃ)の山王祭、神田明神(かんだみょうじん)の神田祭、とともに江戸三大祭のひとつとされているのが、富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の夏の例祭・深川八幡祭り。深川八幡祭りのはじまりは、江戸幕府第3代将軍徳川家光の命による、長男・家綱の世継ぎ祝賀だと伝えられています。
神輿で有名なお祭りで、担ぎ手にお清めの水を掛ける慣わしがあることから「水掛け祭」の別名も。たくさんの町神輿が練り歩く「本祭り」、宮神輿の渡御が中心の「御本社祭り」、子ども神輿が中心となる「蔭祭り」が順に行われるため、3年周期となっています。


お清めの水掛けには誰でも参加可能!人が集まりすぎて永代橋が落ちた事件があったほど、江戸っ子たちにも人気でした。粋な江戸の文化を感じられるお祭りです。
(C)写真AC nimojiさん

そんな富岡八幡宮の「日本一」は黄金大神輿です。かつて富岡八幡宮には、元禄時代の豪商・紀伊国屋文左衛門が奉納したとされる総金張りの豪華絢爛な宮神輿がありましたが、関東大震災で焼失。
しかし平成3年(1991年)、ついに宮神輿が復活しました。先代に勝るとも劣らない豪華さで、鳳凰や狛犬の目にはダイヤモンドがあしらわれ、鳳凰の鶏冠にはルビーが2010個も!屋根は24kgもある純金です。
この超豪華な宮神輿が担がれたのは、奉納時の一度きり。実はこの宮神輿、大きさも日本一といわれ、高さ4m39cm、重さ約4.5tもあるのです。祭りで担ぐのは危険すぎるということで、ひとまわり小さいものを作ることになったそう。そのため最初に作られた宮神輿を一の宮、次に作られたひとまわり小さい宮神輿を二の宮と呼んでいます。通常は2基並んで展示されており、御本社祭りでは担ぐために作られた宮神輿・二の宮が、深川の町を練り歩きます。


狛犬の目にはそれぞれ3カラット、鳳凰の目にはそれぞれ4カラットのダイヤモンドがキラキラと輝いています。鳳凰の胸にも7カラットのダイヤモンドが!
(C)photolibrary ひろさん

【千葉・南房総市/高家神社】
日本唯一の料理の神さま


房総半島南部、南房総市にある高家神社(たかべじんじゃ)の御祭神は、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)。日本唯一の「料理の神さま」です。
磐鹿六雁命は『日本書紀』にも登場する古代日本の人物で、非常に料理上手だったそう。第12代景行天皇の東国巡幸に同行し、安房でとれた蛤(はまぐり)と魚を膾(なます)にして献上したのを機に、子孫代々天皇の召し上がる料理を任されることになったと伝えられています。
高家神社の創建は不詳ですが、磐鹿六雁命の末裔とされる高橋氏の一部が、先祖に縁のある安房国に移り住み、氏神として磐鹿六雁命を祀ったのではないかといわれています。平安時代の神社一覧「延喜式神名帳」にも記載があるものの、一時は衰退・廃絶し、所在不明に。ところが江戸時代初期、高木吉右衛門が桜の木の下から木像と2面の鏡を発見し、現在地に祀りました。のちにこの鏡に「御食津神(みけつかみ)磐鹿六雁命」と書かれていることが判明。これが所在不明だった高家神社の御神体だろうといわれています。


拝殿の左右には2種類の庖丁塚が。おもしろいことに、ひとつは出刃包丁、もうひとつは菜切り包丁のような形です。毎月17日には庖丁供養祭がおこなわれます。

高家神社では、特殊神事「庖丁式」の奉納があります。庖丁式とは、平安時代から伝わる儀式。今からおよそ1100年前、料理好きの天皇として知られる光孝天皇が、宮中行事のひとつとして取り入れたのがはじまりだと伝えられています。日本料理の伝統を今に伝える厳粛な儀式で、烏帽子・直垂をまとった刀主が、鯉、真鯛、真魚鰹(まながつお)などをさばきます。「庖丁」と「まな箸」を用い、いっさい手を触れずにさばいていく妙技は圧巻。古式に則った所作とその庖丁さばきは、なんと口伝の秘技!熟練の技をひと目見ようと、たくさんの料理関係者たちも見学に訪れています。


庖丁式が奉納されるのは、5月17日と10月17日の例大祭(旧神嘗祭=かんなめさい)、11月23日の新穀感謝祭(旧新嘗祭=にいなめさい)の年3回です。
(C)南房総市