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特集 vol.273
神話の神社を歩く
〜葦原中国の平定編A
神々の物語とゆかりの地を紹介する「神話の神社を歩く」シリーズ第8回目。前回の続き、オオクニヌシの国譲り神話第二弾を『古事記』バージョンでお届けします。

力自慢のタケミカヅチを
アメノトリフネとともに派遣


オオクニヌシが統治していた葦原中国(あしはらなかつくに)をアマテラスの御子に譲る「国譲りの物語」。前回はその前半、派遣された交渉役がことごとく失敗したところまでのお話を、お届けしました。今回はいよいよオオクニヌシが葦原中国を明け渡すことになるまでのお話です。

誰を派遣しても国譲りの交渉が進まず、しびれをきらした高天原(天上界)のアマテラス。今度こそはと、剣の神を派遣しました。『古事記』によると、派遣されたのはタケミカヅチ。サポート役は、神々の乗る船を神格化した神さまアメノトリフネです。ちなみに『日本書紀』ではフツヌシとタケミカヅチが派遣されたと記されています。
タケミカヅチは多くの武将に崇敬された武神で、茨城県の鹿島神宮(かしまじんぐう)の御祭神です。
鹿島神宮は、同じく利根川下流域に鎮座する香取神宮(かとりじんぐう)、息栖神社(いきすじんじゃ)とともに東国三社と称されています。東国三社はいずれも国譲り神話に登場する神さまを祀っているのが共通点。香取神宮ではフツヌシを、息栖神社ではアメノトリフネを祀っています。


武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀っている鹿島神宮。現在の奥宮社殿は、徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼として寄進した本殿を遷したものです。

二柱の神は天降り、オオクニヌシのもとへやってきます。出雲の伊耶佐之小浜(現在の稲佐の浜)に降り立ったタケミカヅチは、おもむろに剣を抜くと波打ち際に剣をさかさまに突き刺し、なんと切っ先の上にあぐらをかきながら、国譲りの談判をはじめました。
この荒技に、ただならぬ気配を感じたのでしょうか。オオクニヌシは「私よりも息子のコトシロヌシにお聞きください。ですが、コトシロヌシは漁をするために御大之崎(現在の美保関、地蔵崎)へ出かけておりますので…。」と答えます。うまく矛先をかわしたかと思いきや、アメノトリフネはたちまちコトシロヌシを見つけ出して、タケミカヅチのもとへと連れてきました。コトシロヌシは国を譲ることを了承し、自分の乗って帰ってきた船を傾けるとおまじないの手打ちをして船を青い生垣に変え、そのなかに隠れてしまったと伝えられています。
このエピソードにちなみ、コトシロヌシを祀る島根県松江市の美保神社(みほじんじゃ)では、「諸手船(もろたぶね)神事」や「青柴垣(あおふしがき)神事」行われています。


美保神社の御祭神、事代主神(ころしろぬしのかみ)は、七福神の「えびすさま」とも同一視されています。大漁や航海の安全など海にまつわる御利益のほか、商売繁盛の御利益でも有名です。
写真提供:島根県観光連盟

タケミカヅチvsタケミナカタの力比べ


コトシロヌシの返答を聞いたタケミカヅチは、「ほかに意見のある子はいないか」とオオクニヌシに尋ねます。するとオオクニヌシは「もう一人、タケミナカタという子がおりますが、そのほかにはおりません」と答えました。
するとそこへ、噂の主のタケミナカタがやってきます。タケミナカタは、千人がかりでもなければ動かせないような大きな岩を軽々と持ち上げていましたが、その大岩を投げ出すと、「国を譲ってほしいなら、まずは力比べをしよう」と言い、いきなりタケミカヅチの手をつかみました。しかし、その手はたちまち氷の柱に!タケミナカタが驚いているうちにその手はさらに剣の刃に変わりました。
すっかりこわくなったタケミナカタが尻ごみしていると、タケミカヅチは「さあ、今度はおれの番だ」と言いながら、タケミナカタの手首をぐいっとつかむとたちまち握りつぶし、ポーンと投げとばしてしまいます。


諏訪大社上社本宮にある土俵。相撲の起源は、タケミナカタとタケミカヅチの力比べだという説も。現在でも全国各地で相撲奉納の神事がおこなわれています。

真っ青になったタケミナカタは必死に逃げましたが、とうとう科野(しなの)国の州羽(すわ)海(現在の諏訪湖)のそばで追い詰められてしまいました。そこで「葦原中国はさしあげます。ここ信濃から一歩も外へ出ないので、どうか命だけは助けてください」と命乞いをしたといわれています。
現在、諏訪湖近くには諏訪大社(すわたいしゃ)があります。諏訪湖の北側にある上社の本宮前宮と、南側にある下社の秋宮春宮からなる神社で、タケミナカタを妻ヤサカトメとともに祀っているといわれています。


全面氷結した諏訪湖の一部が迫り上がって筋になる、不思議な自然現象「御神渡り」。タケミナカタが妻ヤサカトメのもとを訪れるために通った跡だといわれています。
(C)写真AC ヒヨドリさん

国譲りが完了、そしてオオクニヌシは出雲大社へ


力自慢のタケミナカタもついに降参したので、タケミカヅチは出雲に戻ってふたたびオオクニヌシに国を譲るか否か、決断を迫ります。するとオオクニヌシは「ふたりの息子たちが従うのでしたら、私にはもう何も異存はございません。この国はすっかりさしあげます。」と言い、「ただひとつ、私の住まいとして高天原の神の御殿のような、立派でしっかりとした御殿を建ててください。」とお願いしました。そこで、タケミカヅチは約束通り立派なお社を建てました。これが出雲大社(いづもおおやしろ)だと伝えられています。
出雲大社の本殿は現在でも高さ約24mとかなりの大きさですが、かつてはさらに大きく、16丈(約48m)あるいは32丈(約96m)もあったという言い伝えがあるそう。オオクニヌシのために建てられた神殿は、ビル並みの超高層神殿だったのかもしれませんね。


2000年、出雲大社の境内で巨柱の一部が発見されました。日本神話に登場する巨大神殿が実在していたかもしれないと思うとワクワクしますね。
(C)出雲大社 拝殿・本殿

こうして国譲りの交渉はついに成立。アマテラスは大いに喜び、目に見える世界をアマテラスの子孫が治めるかわりに、オオクニヌシは目に見えない世界(幽界)を司ることになったのだそうです。
むかしから旧暦10月には、全国の八百萬(やおよろず)の神々が出雲に集まるといわれています。このときに行われるのが神さまたちの会議「神議り(かむはかり)」です。もともとは、全国各地にいるオオクニヌシの子どもたちが、年に一度オオクニヌシが鎮まっている出雲大社に集合し、その年の報告や来年の相談をする場だったといいます。やがてほかの神さまたちもみんな出雲に集まるようになったのだそうです。神議りで話し合われるのは、人はもちろん物事も含む、あらゆる「縁」。出雲大社が日本一の縁結びの聖地ともいわれるゆえんです。


国譲り交渉の場となった稲佐の浜。旧暦10月10日、「神議り」のために集まる神々は、まずここに到着。その後、出雲大社へと向かわれます。
写真提供:島根県観光連盟