1. すごろくはゲーム兼『神社ウォーカー』だった!?
2. 【東京・北区 / 王子神社】
参詣と花見のセットが江戸っ子に大人気
3. 【滋賀・長浜市 / 竹生島神社】
謡曲や歌舞伎の舞台としても知られる神の島
4. 【三重・伊勢市 / 伊勢神宮】
一生に一度は行きたい聖地・お伊勢さんでゴール
「大日本神社双六」は、全国37の神社を紹介している道中双六(どうちゅうすごろく)です。作者と思われるのは、19世紀に活躍した錦絵師・歌川貞秀(うたがわさだひで)。神社の旧称とともにその特徴を絵で表しています。
こうした各地の名所旧跡をたどる絵双六は、江戸時代後期に庶民の間で大流行しました。飛行機も鉄道も車もない時代ですから、当時の人々にとって遠方の神社をお参りすることは、心ときめくレジャーだったはず。大人も子どもも双六でわいわい遊びながら、その地に行ったような気分を味わっていたのでしょう。
双六はゲームであると同時に庶民の情報源でもあったようです。現代なら『神社ウォーカー』『絶対行きたい!全国の人気神社ベスト37』といったトレンド情報誌でしょうか。掲載されているのは、格の高いメジャーな神社が多い一方、曽我兄弟や坂上田村麻呂など歌舞伎や浄瑠璃に描かれた有名人を祀る神社や、三保の松原や天橋立など景勝地にある神社も選ばれています。作者が当時のトレンドや民衆の好みを分析し、ウケを意識してセレクトしたのかもしれませんね。 双六に描かれた人気神社の中から、神社をいくつか紹介します。
東京十社のひとつである王子神社(おうじじんじゃ)は、かつては若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)や王子権現と呼ばれていました。若一王子は熊野三山に祀られている第一位の御子神さま。1322年に熊野から招き祀ったことが地名の由来だそうです。ご祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)など五柱。開運厄除のほか、春日局が幼少の徳川家光の健康祈願をしたことから子育てにもご神徳ありといわれています。
江戸時代後期にもなると、桜で名高い飛鳥山とセットで江戸の名所とうたわれました。すぐ近くには石神井川(旧滝野川)が流れ、夏は川遊び、秋は紅葉が楽しめるとあって川岸に有名料亭が軒を連ねていたとか。まさに江戸の一大レジャースポット。江戸っ子たちはきっと一日がかりで楽しんだことでしょう。
竹生島は琵琶湖に浮かぶ周囲2kmの小さな島ですが、いにしえより神の島として崇敬されてきました。竹生島神社(都久夫須麻神社・ちくぶじまじんじゃ)の歴史は、459年に弁財天を祀る小さな祠が建てられたことが始まりです。731年に社殿が造られますが焼失。現在の本殿は豊臣秀頼が伏見桃山城の御殿の一部を移築したもので、国宝に指定されています。
ご祭神は、弁財天こと市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)など四柱の神さまで、交通安全、開運厄除、金運・財運、商売繁盛などのご利益があります。神社だけでなく竹生島そのものがパワースポットとされ、平家をはじめ織田信長、豊臣秀吉など時の権力者たちも参詣したそう。そんなご神徳に加え、歌舞伎や浄瑠璃など多くの作品の舞台としてもたびたび登場する竹生島がミーハーな江戸っ子に人気があったのもうなずけます。
お伊勢参りは以前から盛んでしたが、江戸時代には社会現象になるほど、人々はみな伊勢神宮を目指したといわれてます。参拝者の数は年間400万人以上とも。そんな憧れの聖地・伊勢神宮(いせじんぐう / 正式名称は「神宮」)は、5500haの広大な敷地に、内宮(ないくう)に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、外宮(げくう)に豊受大御神(とようけのおおみかみ)を、さらに123の別宮・摂社・末社・所管社を祀っています。外宮は1500年、内宮に至っては2000年の歴史があり、ヒノキの素木による簡素で飾り気のない佇まいからもその重みがひしひしと伝わります。
天照大御神は皇祖神であり日本人の総氏神のような存在、そして豊受大御神は衣食住と産業の守り神さまです。125すべてのお社を参拝する必要はありませんが、内宮・外宮は必ずお参りするのがならわしです。外宮を先、内宮を後に参拝したら、おはらい町へ。200年前の人々と同様、まんじゅうやお団子などのスイーツを片手に休憩できますよ。