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特集 vol.258
知っているようで知らない
神社トリビアD
神社に関するソボクな疑問を神社さんに聞いてみる「神社トリビア」企画第4弾。今回は、お守りの持ち方や茅の輪のくぐり方、境内社のなぜ・なにに迫ります!

お守りの正しい持ち方、返納の時期、返納方法は?


さまざまな願いを込めて受けたお守り。「身につけて大切にするといい」といいますが、具体的にはどのように身につければよいのでしょうか?化粧ポーチに入れるのはOK?お財布に入れてお財布をお尻のポケットに入れるのはばちあたり?など、よく考えると、ふつふつと疑問がわいてきます。近隣の神社の方に、より良い身に付け方を聞いてみました。

「バッグの中に入れる場合は、ほかのものがごちゃごちゃ入っている中に入れるのは、よくないとされています。ポーチの中に単体で入れたり、バッグのポケットにお守りだけを入れたりしておくのがよいのではないでしょうか。お財布の中にお守りを入れ、お尻のポケットに入れている方は、気になるようなら座るときにお財布を出すといいかと思います」。
それぞれの神社さんによって考え方が異なるそうですが、“大切に”身につければよいと教えていただきました。

もう一つ疑問が。私のバッグの中には、旅先で4年前に受けたお守りが入っていますが、お守りを何年間も持っていてもよいものなのでしょうか?返納するとしても、再びお守りを受けた遠方の神社へ行って返納するのは正直たいへん・・・。どうすればよいのでしょうか?
「お守りは1年間身につけたあとに、受けた神社に返納するのがよいとされています。ただし、受けた神社が遠方で返納が難しい場合は、お住まいの近くの神社さんに相談してみるとよいかと思います。同じ御祭神のお守りだけ返納を受け付けたり、どこの神社で受けたお守りでも返納を受け付けたりと、神社さんにより対応はさまざま。周囲にマンションが建ち、お炊き上げするのが難しいところもあったりするので、事情や方針が異なるんですね」とのこと。
「まずは相談」が基本だそうなので、古いお守りをお持ちの方は、氏神さまや普段参拝している神社の方にうかがってみてください。


複数のお守りを持つと神さま同士がケンカしてしまうというのは嘘。八百万神さまは、協力して私たちを守ってくださるそうです。

夏越しの祓の茅で輪くぐり。よりよいくぐり方は?


神社へ行くと、茅や藁を束ねた大きな輪が神前に立てられていることがあります。これが「茅の輪(ちのわ)」。
茅の輪が立てられるのは、年に二度の大祓の時期です。6月は夏越しの祓、12月は年越しの祓と呼ばれています。夏越しの祓は、半年間のあいだに身についた穢れを祓い、無病息災を願うためにおこないます。
茅の輪は、神社によって異なる場合もありますが、たいていは左廻り、右回り、左廻りと3回八の字にくぐります。茅の輪のくぐり方が書かれた紙がそばに貼ってあることも多く、誰でも迷わずくぐれるのですが、よりよいくぐり方はあるのか、神社さんに聞いてみたところ「茅の輪は八の字に3回くぐるものですが、夏越しの祓では心をこめて『唱え詞』を唱えながらくぐるとよいですよ」と教えてくださいました。
代表的な唱え詞を紹介しましょう。

1周目
「水無月の夏越の祓する人は 千歳の命のぶというなり」
(6月の夏越しの祓をした人は、寿命が千年にも延びるといわれている)

2周目
「思ふこと皆尽きねとて麻の葉を 切りに切りても祓ひつるかな
(思い悩むことが、(水無月のお祓いだけに)みな尽きてしまえと、麻の葉を切りに切ってお祓いしました)

3周目
「宮川の 清き流れに 禊せば 祈れることの 叶はぬはなし」
(神社に流れる川の清らかな流れで禊ぎをすれば、祈ったことで叶わないことはない)

神社によっては1周目の「水無月の〜」だけを3周分唱えたり、3周目を「蘇民将来(そみんしょうらい)」と唱えたりと違いがあるそうです。「蘇民将来」は人の名前です。スサノヲが一夜の宿を蘇民将来に借りたお礼に、疫病を祓う力がある茅の輪を授け、おかげで蘇民将来の家族は末永く繁栄したと伝えられています。そのため、疫病が流行すると「蘇民将来の子孫なり」と口々に唱え茅の輪を身につけるようになったそう。茅の輪は、神社によっては7月までおいていることもありますので、夏越しの祓で疫病退散を願ってみてはいかがでしょうか。


夏越しの祓の茅の輪をくぐれば、疫病にかからないといわれています。

摂社、末社の違いは?
どうして境内にたくさんの神社があるの?


境内に、拝殿、本殿とは別に小さなお社が建っているのをよく見かけます。「摂社」「末社」として呼ばることが多いようですが、どのように違うのでしょうか?
神社本庁のホームページによると、戦前には、摂社と末社をわける区分があり、摂社は御祭神の荒魂や后神、御子神、御祭神と関係のある神さまや現地の神さまを祀り、それ以外の神さまを祀るのが末社とされていたとのこと。現在の神社では、当時の呼び方をそのまま使っていたり、本社と由緒の深い神社を摂社としている神社があるそうです。


伊勢神宮内宮にかかる宇治橋。伊勢神宮は125もの神社で構成されています。

中には多くの境内社、境内外社のある神社もあります。例えばお伊勢さんこと伊勢神宮には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る内宮(ないくう)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る外宮(げくう)を始め、別宮(べつぐう)、摂社、末社、所管社と125もの社があります。このようにたくさんの神社ができた理由を伺ってみると、大まかに次の4つの理由から神社ができたそうです。

1.内宮・外宮の“わけみや”として重んじられていることから鎮座した神社
2.皇大神宮が鎮座する前から伊勢地方のエリアごとに祀られ、その土地を守ってきた神々で皇大神宮の鎮座にともない傘下に入ったりした神社
3.倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神の鎮座の地を求めていた途中で定めた神社
4.内宮の鎮座の約500年後、豊受大神宮の鎮座に伴い、定められた神社

「正宮の主祭神のほか、農耕に関わる水の神や山の神、宮域を守る神、祭典や御料に関連する神などが祀られています」とも教えていただきました。


内宮の別宮、荒祭宮(あらまつりのみや)。内宮に所属する10の別宮のうち第一の位を持ち、天照大御神の荒御魂を祀っています。