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特集 vol.246
日本一有名な学問の神さまで願掛け!
日本三大天神で合格祈願
合格祈願もとっておきの神社でお参りしたい人にオススメ!日本を代表する天神信仰の神社の情報をお届けします。

約1万2000社を代表する三大天神とは?


日本一有名な学問の神さまといえば、菅原道真公を祀る天神信仰の神社。全国約1万2000社もある天神さまを代表するのが「日本三大天神」といわれている神社です。
三大天神に数えられるのは、京都の北野天満宮(きたのてんまんぐう)、福岡県の太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)、山口県の防府天満宮(ほうふてんまんぐう)。防府天満宮の代わりに、大阪府の大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)、神奈川県の荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)などが三大天神に上げられることもあります。
平安時代の学者・政治家だった道真公が学問の神さまとなったのは江戸時代から。寺子屋が各地に普及し、その教室に道真公が祀られたり御神影がかかげられたりと崇敬を受けてきました。江戸の人々も崇敬した学問の神さまの中でも、もっとも有力とされ三大天神の三社をご紹介します!


神社名の最後に「天神社」「天満宮」と入る神社が、道真公を祀る天神信仰の神社です。

【京都・京都市上京区/北野天満宮】
御利益スポットいっぱい。京の天神さん


最初に紹介する北野天満宮は、全国各地の天神信仰の神社に分霊をした、天神さまの総本社。平安中期の天暦元年(947年)、道真公の没後44年目に小祠が建てられたことからはじまった神社です。
総本社だけに、全国から受験生がお参りに訪れることでも有名です。初詣から1月下旬まで、受験生と思しき学生で境内はいっぱいに。その受験生たちが真剣な表情で願掛けしているのが、なで牛です。天神さまとのご縁から、天神信仰の神社には数多くあるなで牛ですが、北野天満宮のなで牛はなでるとひとつだけ願いがかなうといわれる「一願成就のお牛さん」。ひとつだけ、というのがミソで、「絶対合格」を願う人が後を絶ちません。
また、境内の文子天満宮は、道真公の乳母多治比文子が、北野天満宮創建前に道真公をお祀りした社。こちらも学業成就の御利益を求める受験生に人気があります。
帰る前には、三光門のそばにある大黒天が刻まれた石灯籠を探してみましょう。この大黒天の口に載せても落ちない小石を見つければ、受験のお守りになるというジンクスがあるので、試してみては?


本殿の手前には梅の木が。開花時期には社殿に生える華やかな花を咲かせます。

【福岡・太宰府市/太宰府天満宮】
知恵を授かるなで牛で、最後の願掛け


福岡県太宰府市にある太宰府天満宮も、北野天満宮と並び天神信仰の神社の総本社とされています。創建は延期5年(905年) 。道真公の墓所がある寺の中に神殿が建てられたのが始まりで、中世には40カ所以上の荘園を持つ神社として発展しました。
現在の太宰府天満宮も、参道周辺の商店街が充実していて受験生でもつい目が散ってしまいそうなほどの賑わい。特に受験シーズンは、いかにもそれらしい親子連れや学生グループなどが目につきます。
神社では、受験合格祈願の御祈願が受けられたり、お守りの種類が豊富だったりと合格祈願にうってつけ。「御神牛」ことなで牛の頭を撫でると知恵を授かるといわれているので、忘れずになでて御神徳をいただきましょう。
遠方で太宰府へ行くのが難しい人には、郵送でもお守りを受けられるのがうれしいところ。本来は神社で参拝して受けるもののため、無事に合格して時間ができたらぜひお礼参りに訪れてください。


現在の本殿は、天正19年(1591年)に建てられたもの。

【山口・防府市/防府天満宮】
合格者の熱いメッセージ入り「合格はちまき」で
やる気アップ!


最初の天神さまとして知られるのが防府天満宮です。
道真公が太宰府への道中で滞在し、「京の都と地続きのこの地に住まいを構え、無実の知らせを持って行きたい」と願ったと伝わっています。願い叶わず太宰府で道真公が亡くなったちょうどその日には、防府で光が海に現れ瑞雲がたなびいたそう。このことから、この地の人々は道真公が戻ってきたと悟り、薨去のその年に社が建てられ全国で初めて道真公を祀る神社にとなったと伝えられています。
防府天満宮の合格祈願といえば「合格はちまき」。御神札、お守り、祈願絵馬、菅公鉛筆とともに納められています。おもしろいのは、合格したらお礼の気持ちを込めて返納するルールがあること。返納されたはちまきは、巫女さんたちが洗濯して再び授与されます。つまり、授与されるはちまきは合格された先輩たちから受け継がれる縁起物なのです。「合格しました!ありがとう」「最後の最後までがんばって!」など合格者のメッセージが書かれていることもあるので、ポジティブな気持ちをいただけそう。直接お参りできない人には郵送にも対応していただけるので、問い合わせてみましょう。
参拝し、合格はちまきも受けたあとは、登録有形文化財の春風楼にも立ち寄ってみましょう。防府天満宮は高台に位置しているため、防府の町を見下ろす素晴らしい景色が広がります。名前の通り、春の風を受けるような絶景は勉強疲れを吹き飛ばしてくれることでしょう。


防府の高台に位置する防府天満宮。

学問の神さまは、史上最強の怨霊だった!?


最後に天神信仰の御祭神、菅原道真公についておさらいしておきましょう。
道真公は平安時代の学者・政治家です。幼少の頃から神童だったと伝えられ、当時の最高学府で学んだのち、宇多天皇の信任を得て菅原氏としては異例の右大臣に昇進。しかし、この昇進を不満に思っていた藤原時平は宇多天皇が醍醐天皇に譲位すると急に敵意をあらわにし、道真公は無実の罪で太宰府に流され、その地で無念の死を遂げてしまいました。
ここから、道真公が史上最強の怨霊といわれるゆえんとなった事件が相次ぎます。道真公を陥れた時平は突然死、時平が期待をかけていた妹の子、保明親王も22歳の若さで没し、道真公の弁明をしようとした宇多上皇を内裏に入れなかった蔵人頭は雷に打たれて亡くなり、時平と親しかった源光は沼に落ち遺体も上がらなかったといいます。さらに、疫病の流行や天災が相次いだことから都の人々は、口々に道真公の怨霊のすさまじさをウワサするようになったのです。
極めつけは、内裏への落雷事件。多数の死傷者を出し、宝物が焼失しただけにとどまらず、醍醐天皇はショックを受けて病に倒れ、その3ヶ月後に没しました。
ちなみに、時平の弟・忠平は、道真公に同情的で時平死後は、政界で活躍。子孫は藤原氏の本流となっていったため、「道真公は怨霊」というウワサを広めたのは忠平ではないかともいわれています。
そののち、祟りは収まり、北野天満宮は、国家国民を守護する神さまとして崇敬を受け、さらに江戸時代には学問の神さまとして信仰されるようになったのです。


まだある!日本三大天神

1日で回れる都内の天神さま

「江戸三大天神」



江東区の亀戸天神社(かめいどてんじんじゃ)、文京区の湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)、千代田区の平河天満宮(ひらかわてんまんぐう)の三社を指します。1日でも十分回れる距離なので三社参りもおすすめ。



三天神まいり絵馬で三社参り

「名古屋三大天神」



名古屋市千種区の上野天満宮(うえのてんまんぐう)・同じく中区の桜天神社(さくらてんじんじゃ)・同じく北区の山田天満宮(やまだてんまんぐう)を指します。「三天神まいり絵馬」の裏に、各神社の御朱印を受ける三社巡りが人気。


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