神奈川県の湘南海岸にある江の島は、歌川広重をはじめ、多くの絵師が題材に取り上げた江戸っ子たちに人気の霊場でした。浮世絵を見ると、海に浮かぶ江の島と富士山、そこを歩く男女入り交じった多くの参拝者は、浮き浮きとなにやら楽しげ。浮世絵の江戸っ子たちに誘われるように、江の島と江島神社(えのしまじんじゃ)へ行ってきました。
江の島は、はるか昔から信仰の対象となってきた島です。欽明天皇13年(552年)に御神勅により岩屋で祭祀がおこなわれるようになったのが社伝による江島神社のはじまり。神仏習合により金亀山与願寺となり、江戸時代には江之島弁財天詣がさかんに。さらに明治政府の神仏分離令により現在の江島神社になりました。
現在、島内には江島神社の3つのお宮が点在しています。3つのお宮とは、奥津宮、中津宮、辺津宮のこと。宗像大社(むなかたたいしゃ)と同様の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)の三姉妹の女神さまが、それぞれのお宮に祀られています。
江島神社へは小田急線片瀬江ノ島駅、江ノ島電鉄江ノ島駅、湘南モノレール湘南江の島駅から徒歩15分〜23分。暑い時期に歩くには遠い距離ですが、海上にかかる江の島弁天橋を渡り名物やみやげ店が軒を連ねる参道をひやかしながら歩けば、あっという間に一つ目のお宮、辺津宮に到着します。
辺津宮を参拝し田寸津比賣命にご挨拶をしてから、江島神社の権禰宜齋藤さんにお時間をいただき、昔の江の島についてのお話をうかがいました。
「江の島信仰発祥の地は、島のもっとも奥にある海蝕洞窟『江の島岩屋』です。弘法大師や日蓮聖人も修行したといわれ、養和2年(1182年)には源頼朝が奥州藤原秀衡征伐を祈願。日本三大弁財天のひとつとして有名な裸の弁天さま『妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)』を岩屋に祀ったことから、後に音楽芸能、金運の御利益を求めて、江戸から多くの人が参拝に訪れるようになりました。当時の鳥瞰図を見ると、今の2倍以上の寺院関連の建物があっていたようです。仏教関連のものは明治時代におこなわれた廃仏毀釈の際に取り壊されてしまったのですね」。
今よりももっと多くの寺院群があったとは驚きです。当時は岩屋信仰を要に、三重塔やたくさんの塔頭、宿坊が並んでいたそう。いまも残っている辺津宮・中津宮・奥津宮の3つのお宮も、もともとは別々に管理されており、明治になり江島神社としてひとつにまとめられたそうです。
「弁財天は仏教の神さまですが、江の島といえば弁財天であり、神道の神さまとして残されたのでしょう。現在神社内に祀られている弁財天像は『妙音弁財天』と『八臂弁財天(はっぴのべんざいてん)』ですが、昔はもっと多くの弁財天像があったようです。そのうちの一体が参道にある岩本楼さんという旅館のロビーに安置されていますよ」。
通りすがりに気になっていた立派な門の旅館「岩本楼」さんは、昔は「岩本院」といい霊場江の島全体の宗教権、支配権、経済権を掌握する総別当だったそう。宿泊すれば、館内の資料館も見学できるとか。そんな由緒があったとは、子どものときから何回も遊びに来ていた江の島なのに知らなかった!
そういえば「江の島は弁財天で女の神さまだから、デートに行くと嫉妬されて別れる」というウワサを聞いたことがあるのですが・・・。
「そのウワサ、地元育ちなので私も知っています(笑)。でも実は江戸の男たちの方便だったといわれています。参拝後は、精進落としと称して男たちは色街に寄って帰ることも多かったようで、女房についてこられると困る男たちが『江の島の弁天さんが嫉妬して夫婦の仲が裂かれるらしいから男だけで行ってくるよ』と言い訳に使ったと伝えられています」。
単なる都市伝説だと思っていたのに、江戸時代発祥のネタだったとは。
美しい弁天さまを悪いことばかりしていた五頭龍が見初め、悔い改めさせたのちに結婚したという五頭龍伝説も鎌倉・江の島に伝えられています。結婚している弁財天は嫉妬などするはずがなく、むしろ江の島の弁天さまには縁結びの御利益があると教えていただきました。
「江島神社には銭洗いの池がありますが、もとは岩屋内のわき水でお金を洗っていたようです。銭洗いというと鎌倉の銭洗い弁天さん(銭洗弁財天宇賀福神社・ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)が有名ですが、実はこちらの方が古くからおこなわれてきた風習なんです」という、さらに驚くトリビアも。江島神社では、お金を洗うことで欲を洗い流し、そのお金を世のため人のために使うことで弁天さまが良いご縁を与えてくださると考えられているそう。「お金よ増えろ」とばかりに欲にまみれて洗っていた自分が恥ずかしい・・・。
最後に島内に残る江戸時代の遺構を教えていただきました。
「奥津宮と中津宮は江戸時代に建てられたものになります。中津宮のほうが当時の造形がよく残されています。中津宮の参道には江戸の歌舞伎の芝居小屋『中村座』『市村座』が奉納した燈籠もありますよ。岩屋に一番近い奥津宮は、もとは波の高い春から秋の時期に裸の弁天さまの御旅所だった所。拝殿の天井には江戸後期の絵師・酒井抱一が描いた『八方睨みの亀』の模写があります。こちらもぜひ見てみてください」。
まだまだ興味深いお話をうかがったのですが、それは道中でご紹介していくことにしましょう。次回は、残りふたつのお宮と江の島の聖地・岩屋を探訪。江の島にある3つめの弁天さまにも会いに行く江の島詣レポートをお届けします。