日本橋は、甲州街道ばかりではなく江戸に整備された五街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道)すべての起点。街道ができてからは物流や人の往来がはるかに増え、江戸から各地へと旅立つ前の道中安全や交通安全を祈ったり、各地から江戸へ無事到着したことを報告・お礼をするなど神社を参る人はひきも切らなかったことでしょう。
五街道開通以来、江戸の中心として栄えてきた日本橋。そこにある福徳神社(ふくとくじんじゃ)は、旅人が道中安全を祈願してきた神社です。
福徳神社は、街道が整備されるずっと以前、貞観年間(859〜877)から福徳村と呼ばれていたこの地に鎮座していたといわれ、江戸時代には徳川家康公が何度となく参詣されたのだとか。続く2代目将軍・秀忠公も参詣され、そのときクヌギの皮つき鳥居に春の若芽が芽吹いているのを見て「芽吹稲荷」と別名をつけられました。
「福徳」という社名とともに、江戸時代に富くじの発行を許された数少ない寺社のひとつだったこともあり幸福と利益が授かる「富籤守り」が人気ですが、旅や車の安全にちなんだ「旅守」や「往来守」を求める人も多いそうです。
神職の伊久さんは「街道が栄えた時代は、交通手段のほとんどが徒歩で、あとは馬や荷車、カゴでした。このあたりは、江戸時代はまさに中心地であり交通の要所。物流の集積地でもあり、のんびりした時代とはいえ、にぎわいや往来は大変なものだったでしょうね」といいます。
「『お江戸日本橋』の歌詞にお江戸日本橋七つ立ち″とあるように、当時は旅といえば夜明けごろに出発していたようです。暗くなる前に峠を越えたり、宿場に着かなければいけませんし、道中で野犬や追はぎに合うかもしれない。無事に目的地まで行くことができるかどうか、心配で神さまに祈ったと思いますよ」とも教えてくださいました。
現在は、ビルの谷間にたたずむ大都会の神社となった福徳神社。スペースがとれないので車のお祓いは受け付けていませんが、「旅守」や「往来守」で大きな事故から守られたとお礼参りに来る参拝者は多いのだそうです。
関東三大天神のひとつに数えられる、谷保天満宮(やぼてんまんぐう)。ここが、交通安全祈願発祥の地、と呼ばれているのをご存知でしょうか?
そのいわれは明治41年(1908年)、有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)が「遠乗祭」と称して、日本初のガソリン自動車によるドライブツアーを開催し、その目的地を谷保天満宮にしたことから。宮様ご一行の車は11台。日比谷公園を出発され、神社に到着後は梅林でお茶会を開き「日本に自動車をどのようにして普及させるのか」という議論が交わされたとされています。神社で参拝をされてからの帰り道、故障や事故なく無事に戻られたことから、交通安全祈願発祥の地になったというわけです。
神職の菊地さんに当時の様子を聞いてみました。
「宮様のドライブツアーは、東京にまだ自動車が20台しかない時代に11台を集めて開催されたものです。日本における自動車産業は発展を遂げ、その後世界のトップになるわけですから、梅林でおこなわれたお茶会は日本の歴史上重要な会議だったわけです。その前の時代には、参勤交代で甲州街道を使うことが許された高遠・飯田・諏訪の3藩のお殿様たちがこの場所に立ち寄り、休憩されたことが資料館の記録に残っているようです。甲州街道は200km強ですが、参勤交代では1日40kmを進み、5泊6日くらいで江戸へ上がったようですね。トンネルがないですから、わらじで峠を越えて。(神社がある)ここは、本陣がある次の宿場、府中の一里ほど手前。境内も梅林も出入り自由ですし湧水も豊富です。江戸まであと少しということでホコリを払ったり、水を飲んだり、神さまに参拝したりと休憩に使われていたと思いますよ」。
この日本初のドライブツアーを再現する形で、神社で開催されるようになったのが12月におこなわれる旧車祭です。境内ほか、谷保駅近くに数か所会場が設けられ約180台の古い車、珍しい車が展示され多くの人でにぎわいます。
武蔵国は、現在の東京都・埼玉県のほぼ全域と神奈川県東部を含む広大なエリア。この武蔵国の総社が大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)。一宮から六宮までを合わせて祀っているため、六所宮とも呼ばれていました。創建は街道ができるよりもずっと古く、今から1900年以上も前の由緒ある神社で、甲州街道に府中宿があったころも街の中心的存在でもあり、今もその活気は変わりません。武蔵国総社だけに、多摩ナンバーの人や甲州街道を利用する人、埼玉などから車のお祓いや交通安全祈願にと、たくさんの参拝客がおとずれます。
神社のある宮町は、宿場に設置された大名などの旅宿・本陣が置かれていた場所。
当時の甲州街道に関する記録などを神社でたずねてみると「甲州街道にまつわる記録は特に残されていませんが、当時も行き交う人々で大いににぎわっていたのではないでしょうか」。
府中市役所のふるさと文化財課によると「昔から大國魂神社といえば、くらやみ祭。江戸時代ごろの記録には、くらやみ祭を見物しにたくさんの庶民たちが江戸から府中へ1泊2日でやってきたようです」とのこと。
毎年4月30日〜5月6日までおこなわれるくらやみ祭は、東京都無形文化財に指定されており、今も市内外から人が集まり、境内をはじめ街中まで押すな押すなの大盛況。お祭りの中には、旧甲州街道を馬が走って往復する、競馬式(こまくらべ)がおこなわれるので、街道を馬が行き交った当時の雰囲気を味わうことができます。