丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)が鎮まるのは、紀ノ川から山道を上った先にある標高450mの高原の盆地、天野の里。
「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに『天野』の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところをいったのかも知れない。(中略)こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない(中略)桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」。
日本の美について多くの随筆を残した白州正子は、著者『かくれ里』で天野の里についてこのように綴っています。高天原とは、日本神話に登場する神々の住まう天上の地。丹生都比売神社を訪ねた正子は、神々しいほどの平安をこの地に見いだしたのでしょう。
丹生都比売神社は1700年以上前に創建された古社。紀伊国一宮で全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社でもあります。4つの本殿には、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)、高野御子大神(たかのみこのおおかみ)、大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)、市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)の四柱が祀られています。
丹生都比売神社は、弘法大師空海に高野山を授けた神さまとしても知られています。今から1500年前、密教の道場を開く場所を探していた空海の前に高野御子大神が狩人の姿であらわれ、その使いである黒と白の犬に高野山に導かれ神社の神領を授かりました。空海はこれに感謝して、高野山の壇上伽藍(だんじょうがらん)に丹生都比売大神と高野御子大神を祀る御社(みやしろ)を建て、ここから密教の一大聖地である高野山が始まったと伝えられています。このことからこの地が日本の神仏融合の始まりだとされています。
かつては紀ノ川からの山道を上り、丹生都比売神社を詣でてから高野山へ参るのが正しい参拝ルートとされていました。その通りに歩みを進めると、神社は天野の里のもっとも奥まった場所にあります。
御祭神の名前にある「丹」とは、朱砂の鉱石から採取される朱を意味しているそう。のどかな高原の田園の先、神社の入り口にあるのは、朱色の外鳥居と輪橋。さらに進むと禊橋、中鳥居。そして、入母屋造りの堂々とした楼門。楼門から本殿を参拝します。鳥居も橋も社殿も朱色に塗られ、圧倒されるような壮麗な趣です。のどかな山里のなかに突如あらわれる社殿群は、正子が記したように高天原を思わせるものがあります。
堂々とした楼門の下では、般若心経を唱える僧侶や参拝者の姿を見かけることも。神仏融合の地ならではの景色です。今も続く日本の和やかな信仰の在り方は、ユネスコに「ユニーク(他に類がない)」と評価され世界遺産に登録されたのです。
参拝後に授与所を眺めてみると、かわいい犬のおみくじに気づくかもしれません。犬みくじは、御祭神・高野御子大神のお使いであり、弘法大師を導いた黒・白二匹の犬にちなんだおみくじ。2017年12月には、御神犬のいわれにちなみ紀州犬すずひめ号も奉献され、犬好きのあいだで密かな話題となっています。すずひめ号は毎月16日の月次祭に参拝し、その後公開されています。この日限りで御朱印にはご神犬をかたどった印を押していただけます。すずひめ号に会いたい人は、月次祭にあわせて参拝してみてください。