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特集 vol.219
日本史のスターの軌跡を訪ねて
戦国武将ゆかりの神社D
今回ご紹介する神社の御祭神、明智光秀公・浅野長政公・伊達政宗公は、戦国武将人気ランキングでも常に上位にランクイン。動乱の時代に生きた武将の軌跡を、神社でたどってみませんか?

鳥居前の社標などには明智家の桔梗紋が入っています。

神社前で目を引くのが、昭和28年(1953年)の台風13号で由良川が氾濫して水没した高さを示す浸水位の看板。拝殿に隣接して堤防神社もあります。

【京都・福知山市/御霊神社】
ついに大河ドラマの主役に
明智光秀公を祀る


東京2020オリンピックが開催される節目の年の大河ドラマは、明智光秀公を描いた『麒麟がくる』。
光秀公をメインキャラクターとして描いた大河ドラマは史上初。身分の低い美濃の牢人から本能寺へと向かうクライマックスまで、数奇な半生を描くドラマは興味深いものになるにちがいありません。
大河ドラマの主役になるほど知名度がある光秀公ですが、ほかの著名な戦国武将と異なり、神社に祀られている例はほとんどありません。
それは、主君・織田信長を討伐した逆臣だから。主君に逆らうというのは大罪で神として祀ることはできない風潮だったのです。
光秀公を祀るめずらしい神社が、京都の福知山市にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)です。
御霊神社は、生前慕われていた人がえん罪で非業の死を遂げた場合に、その御霊を慰めるために建てる神社で、同様の神社が全国各地にあります。逆臣・逆賊と認識されがちな光秀公ですが、丹波国統治時には、暴れ川である由良川の氾濫を防ぐために長い堤防を構築したり、地元の国人衆を家臣として取り立てたり、税金を免除したりと善政をおこない、領民から慕われていたと伝えられています。そんなことから、もともと宇賀御霊大神を祀る神社に光秀公が合祀され御霊神社と呼ばれるようになりました。
神社が建つのは、JR福知山駅から北へ徒歩10分の場所。境内には、悲願成就の「叶石」や、とても珍しい堤防を御神体とする堤防神社や養蚕神社、包丁神社などの境内社も。
予約制で神職の方から神社の説明を受けることもできるそうなので、光秀公や福知山、神社についてより深く知りたい方は問い合わせをしてみてはいかがでしょうか?



原爆で焼失した向唐門を2000年に再建。礎石は原爆当時のまま残し、龍の彫刻等細部を忠実に復元しています。

本殿前には、長政命が「殊外古物甚(ことのほかふるきものはなはだ)面白き石手水鉢」と賞賛した手水鉢も。

原爆を生き延びた最後の黒松の切り株は、神社の伝統・原爆の鎮魂の証として保存されています。

【広島・広島市/饒津神社】
広島を守る
浅野長政命の神社


浅野長政公は、織田信長に仕え、のちに豊臣五奉行の筆頭となり関ヶ原では徳川側につき戦国時代を生き抜いた武将です。
すぐれた行政手腕を持ち、領地の民からその人徳を慕われました。囲碁好きで徳川家康とともに囲碁に興じたとも伝えられています。
歌舞伎の『忠臣蔵』などでおなじみ、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の御先祖様でもあります。
この浅野長政命を祀るのが、広島駅の新幹線口から徒歩15分の場所に鎮まる饒津神社(にぎつじんじゃ)です。
宝永3年(1706年)、浅野家6代当主綱長公のときに、広島城の鬼門である東北の方位に長政公の位牌堂を建立したのが始まり。のちに現在地に移転し、長らく祖先追孝の御堂だったところを、明治元年(1868年)に饒津神社とあらため県社となりました。
御祭神には、長政命をはじめ、奥方のやや、末津姫命(まつひめのみこと)、長男で浅野家二代の幸長命(よしながのみこと)と、長政命の家族も祀られています。
広島市街地とは思えないほど広々とした境内には、長政命ご愛用の手水鉢「御陣中御手水鉢」があり御祭神の在りし日を偲ぶことができます。
社殿や鳥居などは原爆により灰となってしまったため、のちに再建されたもの。
爆心地から約1700mは離れていますが、強烈な爆風により本殿唐門が一瞬にして破壊され、境内の黒松の大木も参道の石灯籠も吹き倒されたそう。
爆風の被害がヒビとして残る手水鉢や、被爆を伝える松の切り株「被爆松」があり、平和の大切さを感じることができる場所ともなっています。





オリジナルの御朱印帳も。政宗公のシルエットが刺繍されていて、政宗公ファンならずとも欲しくなりそう。

【宮城・仙台市青葉区/青葉神社】
“独眼竜”
伊達政宗公を祀る


黒い眼帯姿がトレードマークの“独眼竜”政宗公は、さまざまな戦国武将ランキングでも常に上位にランクイン。1987年放送のNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』がヒットしたり、人気ゲームシリーズ『戦国BASARA』や『戦国無双』でイケメンのメインキャラクターとして描かれたりと、幅広い世代に人気です。
「あと少し早く生まれていれば、天下統一を成し遂げたはず」ともいわれる政宗公。伊達家第17代当主であり、仙台藩初代藩主でもあります。
政宗公を御祭神として祀るのは青葉神社 (あおばじんじゃ)。社名は政宗公の居城であった仙台城の別称、青葉城に基づいています。
神社の始まりは明治元年(1868年)。旧家臣を中心とする有志が神社の創営を願い出て、明治7(1874)年に神号を武振彦命(たけふるひこのみこと)として創建されました。境内には家臣を祀る祖霊社があるほか、政宗公の正室・愛姫様(めごひめさま)も本殿に合祀されています。これだけでも、政宗公の軌跡をたどりたい人には貴重な神社ですが、宮司さんは代々政宗公の忠臣、片倉小十郎景綱公の子孫。景綱公といえば「智の片倉景綱」と呼ばれ、知勇を兼ね備えた武将として名を残した人物です。青葉神社では、いまも片倉家16代当主が祭祀をとりおこなっています。


神社へは地下鉄北仙台駅から徒歩5分。5月の第3日曜に開催されている市民のイベント「仙台・青葉まつり」は、政宗公の命日5月25日にちなんでおこなわれていた春の例大祭が由来となっています。