奇祭中の奇祭といわれる「ケベス祭」がおこなわれているのは、大分県国東市の岩倉社(岩倉八幡社)(いわくらしゃ・いわくらはちまんしゃ)。大分県の北東に突き出ている国東半島の北端に位置しています。
国東半島は、全国に点在する八幡社の総本社宇佐神宮(うさじんぐう)のお膝元。古くからある山岳宗教と宇佐の八幡信仰、天台宗が影響を与えあい、六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が花開きました。このため「神仏習合発祥の地」「仏の里」ともいわれています。荒々しい岩肌にへばりつくような寺院や、鎖場を登る修験の道など、秘境の趣が残っているエリアです。
岩倉社が建つのは、海に隣接する櫛来という集落。宇佐神宮の御分霊が祀られ創始されました。「ケベス祭」は、岩倉社の秋の大祭。およそ1000年前から連綿と受け継がれてきました。
「ケベス祭」が奇祭といわれる所以は、その見た目にあるのでしょう。「ケベス」は、荒々しく削られた奇怪なお面のこと。祭りでは、盛大な炎が上がるなか、白装束に身を包んだ「トウバ(当場)」と「ケベス」が、火を巡って争いを繰り広げます。突進する「ケベス」と火を守ろうとする「トウバ」は、長い棒を交え戦います。ついに「ケベス」は棒を火に突き刺すと、火を掲げたまま参列者にも突進し、たまらず逃げ惑う人々の悲鳴が上がります。
なぜ、このような祭りがおこなわれるようになったのか、起源も由来も一切伝わっていないのだとか。謎は謎のまま、今年もまた「ケベス祭」がおこなわれます。
全国のけんか祭のなかでも、際だって激しいことが知られている「灘のけんか祭り」。「ヨイヤサーヨイヤサー!」のかけ声とともに、神輿が激しくぶつかりあいます。
世界文化遺産、姫路城の南東にある白浜町。播磨灘に面し、城下町の古い街並みが残っています。街の秋の風物詩が松原八幡神社(まつばらはちまんじんじゃ)の秋の例大祭「灘のけんか祭り」です。
松原八幡神社は、奈良時代に創建され、天皇の御祈願所とされたと伝えられています。
江戸時代から続く祭の起源は西暦200年頃。神功皇后が白浜沖で船についた貝殻を取るために、船と船をぶつけあったという故事にならっています。
この祭では、三柱の御祭神を三基の神輿にのせ、ぶつけるほど、壊れるほど、神が喜ぶとされています。
祭は毎年10月14日、15日の2日間。14日は宵宮と呼ばれ、神社の氏子である7つの地区それぞれが豪華な祭り屋台を出し、街を練り歩きます。祭の本番は15日。境内に三基の神輿が出たとたんに、ぶつけ合いが始まります。300kgもある神輿が地面にたたきつけられ、起こされてはまたぶつけ合い、見る間に壊されていきます。
その後神輿は、神社を出て、松原八幡神社が最初に建てられた御旅山山頂へと向かいます。
麓の練り場では、10万人の観客が見守るなか、さらに激しく神輿のぶつかり合いがおこなわれ、祭はクライマックスへ。一歩間違えれば命さえ落としかねないぶつかり合いに、担ぎ手の気合いも最高潮に達します。「ヨイヤサーヨイヤサー!」のかけ声がさかんに掛けられ、汗が飛び、警戒の笛が激しく鳴らされる様子に観客も手に汗を握ります。
「盆よりも正月よりも祭」という街の人々は、この日のために一年を過ごしています。
2本の青竹が空に真っ直ぐに伸び、その先端で白キツネが戯れる。
まるで、消防出初式のはしご乗りのようなスリリングな演技が観られるのは、若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ)の秋季例大祭で奉納される「竹ン芸」。坂本龍馬を始め、幕末の志士がたびたび参拝したことから「勤皇稲荷」とも呼ばれている神社です。
「竹ン芸」は250年の歴史を持つ伝統芸能。国の選択無形民俗文化財に指定されています。
起源は諸説あり、祭り囃子に浮かれた白キツネたちが竹藪のなかで遊ぶ様子を表現したというものや、唐人屋敷の子どもたちが踊っていた踊りから着想を得たというものも。
キツネ役は、子キツネと女キツネ、男キツネの3役。すべて男子が役を担い、高さ12m以上の竹に上り、命綱もつけずに芸を繰り広げます。
最初におこなわれる子キツネの演技では、2歳から小学校6年までの子どもたちが登場。小さなキツネといえども、ぶらさがったり、足だけで竹につかまって逆さまになったりと、見応えのある演技に会場は大いに盛り上がります。
女キツネ・男キツネの演技になると、演技はより大胆に。男キツネの演技では、上空で大きく竹をゆするダイナミックな見せ場もあり、悲鳴まじりの歓声が沸くことも。
スリルのある演技ではありますが、ポーズを決める様子は優雅で幻想的。本当に空でキツネが舞っているかのようです。
キツネたちが竹の上から振る舞う縁起物を、運良く手に入れられると、一年無病息災で過ごせるといわれています。