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特集 vol.182
一度は行きたい
一宮さんぽ~関西編C
全国の一宮神社を紹介するシリーズ企画。多くの一宮神社のある関西編の第4回目は摂津・河内・和泉国の一宮をピックアップ!

淀君が奉納したといわれる、有名な反橋(太鼓橋)。

国宝建造物に指定されている住吉造の本殿。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、切り妻殿内は前後2室に分かれており、回廊がないのも特徴です。

【大阪府・住吉区/住吉大社】
~摂津国 住吉大社
日本三大住吉の一社
「すみよっさん」


摂津国の一宮、住吉大社(すみよしたいしゃ)は、全国約2300社ある住吉神社の総本社です。大阪の人々を災難から守ってきた住吉大社は「すみよっさん」の愛称で親しまれ、初詣は毎年約230万人の参拝者が訪れます。
この神社を造ったのは第14代天皇・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后・神功皇后(じんぐうこうごう)。急死した夫に代わり、神功元年から69年まで政治にたずさわった女帝です。彼女が身重の身体で三韓 (新羅・高麗・百済) 遠征に出兵したとき、住吉三神、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)に守られました。そしてその後、この地に住吉三神を祀るようにとの神託があり、住吉神社を開いたのです。
そのようなことから、住吉三神は海上守護の神さまとして、そして、神功皇后は三韓遠征から戻り無事出産したことから、安産の神さまとしても人々から篤い信仰を集めています。
そしてこちらは、見どころいっぱいの神社でもあります。
本殿にある鳥居は柱が四角い住吉鳥居。手水舎で水を注いでいるのは龍ではなく、うさぎです。これは、神功皇后がお祀りされた日が卯歳、卯月、卯日だったことに由来します。
通常神社の本殿は、東か南向きが多いのですが、ここは4棟すべてが大阪湾の方角を向いた、西向きです。
配置は鳥居をくぐり、まず最初に見えるのが横に並ぶ第3・第4本宮。第3本宮の後ろに第2、第1本宮が直列に並びます。つまり上から見るとL字型という、神社としては珍しい配置です。鮮やかな朱色と白の色彩が鮮烈な本殿は、神社建築史上最古といわれる様式のひとつである住吉造で建てられています。
豊臣秀頼が奉納した日本三舞台のひとつとされる石舞台、実際にお米を作っている600坪の御田、船舶関係者・大阪商人から多く奉納された約600基の石灯籠、「一寸法師」発祥の地や、数々の御利益で知られる摂社・末社が、約3万坪の境内にぎゅっと詰まっています。
重要無形民俗文化財に指定されている6月の「御田植神事」や、大規模な夏祭「住吉祭」など有名な年中行事も目白押しです。 



枚岡神社の起源とされる神津巌には石碑が建っています。孝徳天皇の時代、白雉元年(紀元前650年)にここから山麓の現在の場所に移されました。

枚岡造りと呼ばれる本殿は四殿並列式。焼失と造営を繰り返してきた歴史ある建築様式です。

【大阪府・東大阪市/枚岡神社】
~河内国 枚岡神社
枚岡山麓にある太古の聖域では
お笑い神事が有名


東大阪市にある広大な枚岡公園にあるのが河内国の一宮、枚岡神社(ひらおかじんじゃ)。額田山と枚岡山のふたつの尾根が連なり、その中央に豊浦川が流れる自然豊かなロケーションです。
神社創祀は、初代・神武天皇即位(紀元前660年)の3年前と伝えられています。
御祭神は、天岩戸開きに功績のある天児屋根命(あめのこやねのみこと)と、
その后神の比売御神(ひめみかみ)。枚岡山には神社創祀の地、神津巌(かみつだけ)があり、周辺にはたくさんの古代祭祀跡とみられる場所が点在しています。
この神社で知られるのが、年末恒例の注連縄掛(しめかけ)神事。別名「お笑い神事」と呼ばれるものです。
神事開催の早朝、参道正面の拝殿へと続く階段前にたくさんの人が集まると、まず神社総代の手によって注連縄が作られ鳥居に張り渡されます。その鳥居の前に神職、巫女、総代、氏子たちが整列し、宮司の先導に続き20分間「あーっはっはっはっ」と声を上げて笑い続けるというものです。途中で宮司の「まだ10分やー」と合いの手が入りつつ、20分の大笑いはなかなかの長丁場。その後は一般市民による「大笑い競べ」まで開催します。
これは「天岩戸神話」をもとにした神事をコンセプトに、6~7年前から地域活性化の意味も含めてイベント化したものだそうです。
さらに、枚岡神社のキャッチフレーズは「元氣が授かる太古の聖域」。ついつい顔がほころんでしまうような明るさを発信する枚岡神社に、元氣を授かりに出かけてみませんか?



大社造りの出雲大社によく似た本殿は、大鳥造りと呼ばれる建築様式です。

境内に建てられた日本武尊像。もうひと柱の御祭神は、大鳥連祖神(おおとりのむらじおやがみ)で、和泉国に栄えた大鳥氏の先祖を祀った神さまといわれています。

【大阪府・堺市/大鳥大社】
~和泉国 大鳥大社
日本武尊の魂が
最後に羽を休めた場所


古代日本の英雄といえば大和国出身の日本武尊(やまとたけるのみこと)。この日本武尊を御祭神とするのが、和泉国一宮の大鳥大社(おおとりたいしゃ)です。
さかのぼること約1900年前。日本武尊の父、第12代景行天皇(けいこうてんのう)は、息子の武勇に優れた性格を見て、今だ従わない各地の平定を命じました。以来、戦い通しの人生を送り、最後には伊吹山の神に祟られ能煩野(のぼの、三重県鈴鹿市)で病死。その魂が白鳥になって飛び立ったという伝説があります。
大鳥大社の社伝によると、その白鳥が最後に降り立ったのがこの場所だったとのこと。
周辺の人々が日本武尊の偉業を称えるために創建されたのが、神社のはじまりと言われています。
境内の広さは約1万5000坪あまり。白鳥が舞い降りたとき、一夜にして木々が生い茂り、その森は神域とされ、千種(ちぐさ)の森と呼ばれています。
御祭神が、国の平定に武勲をあげた日本武尊だったこともあり、武家の崇敬が篤く平清盛・重盛が熊野詣の途中に立ち寄り参拝し、和歌や名馬を奉納しました。織田・豊臣・徳川の三武将も社殿の造営に何度も奉仕しているといわれています。
そして、大鳥大社の春のお祭りとして知られるのが、4月の第3土曜日に毎年おこなわれる「花摘祭」。この神事は、平安時代に無病息災を願って花を摘み、神さまにささげたのがはじまりです。かわいらしい花摘女(はなつみめ)や稚児たちの行列が町を練り歩くもので、その様子はまるで時代絵巻のよう。市内外の見物客が集まり、町は華やかなにぎわいを見せます。