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特集 vol.178
季節の節目の邪気払い
ひなまつりは、神社へ行こう
3月3日はひなまつり。各地の神社では、ひなまつり、桃の節句にゆかりの行事がおこなわれ、境内が華やかににぎわいます。

ユニークな男性用の勝男みくじ、女性用の金女みくじ。

友禅の御朱印帳はひな祭りモチーフで、こちらもキュート。

【千葉・勝浦市/遠見岬神社】
おひな様で石段が
華やかに!「かつうら
ビッグひな祭り」


参道の60段の石段に1800体ものひな人形がズラリ。
圧巻のひな壇が見られるのは、千葉県の勝浦市、有名な勝浦の朝市がおこなわれるそばにある遠見岬神社(とみさきじんじゃ)です。
ひな壇は2001年から勝浦市でおこなわれている「かつうらビッグひな祭り」の一環として飾られるもの。ビッグひなまつりの元祖は徳島県勝浦町の「ビッグひな祭り」で、「かつうらビッグひな祭り」は、徳島県勝浦町から7000体のひな人形を譲り受け、2001年にスタートしました。
17年目を迎える今年は市内各所に約3万体ものひな人形が登場。まさに「ビッグ」なイベントになりました。
会場のひとつとなる遠見岬神社は、屋外の会場としては最大規模で人気の観覧スポットとなっています。
祭り期間中は本殿への石段にひな人形が飾られるため下に揺拝所を仮設。御朱印やおみくじも下の社務所で受け付けていただけるそうです。
とっても愛らしいオリジナルのおみくじ、勝男(かつお)みくじ、金女(きんめ)みくじも頒布されているので、チェックしてみてはいかがでしょうか?


最上段には特大の「勝浦びな」を展示。夕方からはライトアップもおこなわれます。
2017年の開催は2月24日(金)~3月5日(日)9:00~19:00※荒天時中止。


神社周辺を平安絵巻を思わせる行列が巡行します。

特設舞台から生きびな様による餅投げがおこなわれます。

【岐阜・高山市/飛騨一ノ宮水無神社】
おひな様の世界が
現代によみがえる
「飛弾生きびな祭り」


本物の女性たちがひな人形に扮する「飛騨生きびな祭り」があるのは、飛騨一宮水無神社(みなしじんじゃ)。
春の訪れの遅い飛騨山らしく、1カ月遅れの4月3日におこなわれます。
飛騨は蚕糸業がさかんだった地域。
農業がさかんな地域に農耕儀礼が伝えられているように、養蚕業のさかんな地域にも独自の年中行事が伝えられていることがあります。
「飛騨生きびな祭り」は、その年の五穀と養蚕の豊穣を祈念する春の蚕糸農業祭にひな祭りが取り入れられたもの。
絹に象徴される女性の気品と幸福を祈念するために、昭和27年(1952年)にはじまりました。
当日は、雅楽が奏でられるなか、飛騨一円より選ばれた未婚の女性9人を中心に、氏子奉仕による赤鬼・青鬼、雅楽を演奏する伶人、稚児、菱餅や酒杯を手にした巫女などおよそ100人が、平安をしのばせる衣装で神社周辺を練り歩きます。
9人の女性は、お内裏さま、お后さま、左大臣や右大臣、五人官女になりひときわ華やか。
祭典のあとには、1年の豊作を祈願して生きびな様による餅投げがおこなわれ、菱餅や繭だんごが振る舞われます。



たくさんのひな人形が乗せられた舟が、沖へと流されます。

社殿には、全国から寄せられたひな人形が飾られています。

【和歌山・和歌山市/淡嶋神社】
全国の八幡さまの総本宮
ひな祭り起源の神社の
「雛流し」


和歌山の淡嶋神社(あわしまじんじゃ)では、女性の健やかな成長と幸せを願って「雛流し」がおこなわれています。
淡嶋神社は、人形供養で知られる神社。紀州徳川家がひな人形を奉納した故事にならい、古くなったひな人形が寄せられるようになりました。
当日の朝には、日本全国からひな人形を手にした女性たちが続々と集合。それぞれの願い事が記された人形は、本殿でお祓いを受け白木の舟に乗せられます。
神の国への道を開くため稚児によって春の海に千羽鶴がまかれると、人形を満載した舟が海へと放たれ、沖へ沖へと向かっていきます。
淡嶋神社のおこりは、神功皇后の三韓出兵にさかのぼります。神功皇后が三韓出兵からの帰り道に、嵐にあい、お告げに従いたどり着いた島が、淡嶋神社の建つ加太の対岸にある友ヶ島。
そこには、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大己貴命(おおむなちのみこと)が祀られており、神功皇后は御礼に宝物を奉納しました。その後、島の対岸に遷宮され社殿が建てられ、神功皇后を合祀したのが淡嶋神社のはじまりとされています。
この歴史と、日本のひな祭りの起源が結びついているという説が淡嶋神社に伝わっています。
男びな女びなのはじまりは、淡嶋神社の御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)と神功皇后(じんぐうこうごう)の男女一対の御神像であり、ひな祭りが3月3日になったのは御祭神がもともと鎮まっていた友ヶ島から現在地への遷宮が仁徳天皇5年3月3日だったことに由来。さらにひな祭りの語源もスクナヒコナ祭が略されて、ひな祭りと言われるようになったとも伝えられています。