幕末の教育者、思想家である吉田松陰先生。
松陰先生が主宰した松下村塾は、初代総理大臣の伊藤博文や、明治政府を支えた山縣有朋、奇兵隊を作った高杉晋作など、そうそうたる顔ぶれを輩出しています。
松陰先生は、安政の大獄に連座し30歳の若さで死罪となりましたが、後に門下生たちの働きにより東京・世田谷区と山口県萩市の2カ所に祀られることになりました。
この2つの松陰神社は、受験生たちが合格祈願に訪れる学問の神さまとして崇敬を集めるようになったのです。
学問の神さまとして松陰先生の人生を見てみると、やはりただ者ではありません。
わずか11歳で毛利のお殿様である敬親の前で講義をするほどの神童でしたが、単に頭がよいというだけではありません。
海防調査のために脱藩(当時は重罪)したり、外国で学びたいがために黒船に乗り込んで密航しようとしたり(もちろん大変な重罪)と、半端ない向学心の持ち主だったのです。
もちろん、新時代の到来を支えたたくさんの人たちに心酔されるほどの、カリスマ性も持ち合わせていました。
では、そんな松陰先生を祀る松陰神社とは、どのような神社なのでしょうか?
松陰先生の素晴らしい頭脳と向学心にあやかろうと、受験生ではありませんが東京・世田谷の松陰神社を訪ねてみました。
真新しく整えられた参道を歩き、鳥居をくぐるとたくさんの石灯籠。こちらの石灯籠は、毛利元昭や伊藤博文、山縣有朋などの縁故者によって奉献されたもの。参道右手には松陰先生のブロンズ像もあり、お顔を拝見することができます。
さらに真っ直ぐ進むと正面に社殿、その右手にある松下村塾は、山口県萩の松陰神社境内に保存されている松下村塾を模して建てられたものです。
想像以上にこぢんまりした松下村塾の建物は、志士たちが肩を寄せ合い日本の未来を熱く語り合ったことを想像させてくれました。
社務所をのぞくと、ここで気になるものを発見しました。
「吉田松陰先生 御言葉みくじ」です。
松陰先生は、門下生に向けてたくさんの名言・格言を残しています。
その言葉は、現代人の心にも響くものが多く、ビジネス書などたくさんの書籍で紹介されています。
どんな格言をいただけるのか、さっそく引いてみることにしました。
スタッフ3人で「御言葉みくじ」を引いてみたところ、ライターは小吉という結果。
気になる御言葉は
「自ら淬(さい)れいして 敢へて暇逸(かいつ)することなかれ」
(自ら進んで人格修業に努め、けっして時間を無駄に過ごしてはいけません。何時いかなる時も勉学し修業に努める気持ちを持ちましょう)
と書かれています。
かなり時間を無駄にしがちな我が身に、ざっくり刺さる御言葉でした。
ほかのスタッフは大吉と中吉で、それぞれ勉強にも、人生の指針にもつながる言葉が書いてありました。
受験生が引くのもいいですが、来年受験生になる人や、サラリーマンが引けばモチベーションが上がりそうです。
おみくじを結んだら、最後に社殿に向かって左手にある松陰先生と志士たちの墓碑も参拝することに。幕府によって処刑された人物のため、墓はいったん破壊されましたが、明治元年(1868)に修復されたそうです。
徳川家が謝罪の意味をこめて奉納した石灯籠もあり、松陰先生の地位が死後いかに見直されたかを感じることができました。
墓碑へ向かう小路は、前にも後ろにも歴史散策中といった様子の妙齢の女性グループが。
平成の世では、女性にも松陰先生は人気のようです。
墓碑前では女性たちと一緒に手を合わせ、先生の安らかな眠りを祈るとともに、向上心と強い意志にあやかれることを願ってきました。