前回は平安京の表鬼門(北西)の方角を守る、日吉大社(ひよしたいしゃ)の「神猿(まさる)さん」をご紹介しましたが、都のなかでも猿が鬼門除けに活躍しています。
その証拠に京都御所の北東の角の辻の名は「猿ケ辻」。
築地塀の屋根の部分にいる一匹の木彫りの猿が名前の由来です。
烏帽子をかぶり、御幣をかついだこの猿は、都を守るために日吉大社からの使者としてやってきたものだとされています。金網の中に入れられているのは、夜ごとに飛び出していたずらをしたためだとか。
さらに、御所の猿と同じように烏帽子をかぶって御幣をかついだ猿がいるのが幸神社(さいのかみのやしろ)。
猿が辻から徒歩10分ほど歩いた路地の奥に鎮まる神社です。
鬼門除けとして崇敬を集めてきたのでしょう、入口には「皇城鬼門除出雲路幸神社」の石碑もあります。
猿像があるのは、本殿の北東の屋根の中。江戸時代初期の名工、左甚五郎作という節もあるので表情などを見たい場合はオペラグラス持参がおすすめです。
御祭神は猿田彦の大神(さるたひこのおおかみ)。
天孫降臨の道案内をした神さまのため、交通安全の御神徳が知られています。
ここ幸神社では、災難除け、交通安全に加えて、境内にある神石「おせきさん」を拝むと縁結びのご利益がいただけると信じられています。
幸神社の猿像は、鬼門除けのために置かれたものですが、幸神社と同じ猿田彦大神を祀る猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)にもなぜか猿像があります。
境内を見渡すと、白猿木彫像があったり、社殿の彫刻や絵馬にも猿が描かれていたりします。
なぜ「猿」なのでしょうか?
その理由は、猿田彦神社が山ノ内庚申とも呼ばれていることにありそうです。
「庚申」とは、60日に一度巡ってくる干支の庚(かのえ)申(さる)の日のこと。
庚申の日の夜には、人の中にいる「三尸虫(さんしちゅう)」という虫が、寿命を司る神さまに悪行を報告しにいき寿命を縮められると考えていました。人間が起きているときには体から抜け出せないため、庚申日は庚申待ちと呼ばれる徹夜をするのがならわしとなっています。
この庚申信仰のシンボルに猿が使われることが多いため、この神社では猿がモチーフになっているのではないでしょうか。
ちなみに猿田彦大神の姿は日本書紀によると、鼻の長さ約1.1m、背の高さ約2.1mで猿のような風貌が伝えられています。しかし、猿田彦神社の総本社である三重県・伊勢市の猿田彦神社には、猿モチーフのものはないため、猿田彦大神の眷属が猿ということはなさそうです。
そんな猿田彦神社の御神徳は、交通安全にくわえ中風・神経痛・腰痛などの病気封じや盗難除けなどの御神徳が知られています。
最後に紹介する猿にゆかりの神社は、猿丸神社(さるまるじんじゃ)です。
御祭神は、平安時代の和歌の名人である三十六歌仙の一人とされる猿丸太夫(さるまるだゆう)。
とても謎の多い人物で「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき」を謡った人物としかほとんど知られていません。
この神社では、御祭神の「猿」の文字に「去る」をかけて、病気のもととなる「こぶ」を取り去るという「こぶとり祈願」が崇敬を集めています。
境内の猿の石像は、石像をなでた手で体の同じ場所をなでれば病気にならないと伝えられているので、健やかな1年を願ってぜひ試してみましょう。
無事に病が治ったら、木のこぶを御礼参りに奉納するのがならわし。奉納所には木のこぶがズラリと並んでいます。
ガン封じや病気平癒を願って、遠方からもたくさんの人が訪れているそうです。