意外に知られていないのが絵馬の由来。
どんなふうに書くのがよいのかを知る前に、まずは絵馬について学んでおきましょう。
絵馬に「馬」が描かれるのは、生きた馬を神さまに奉納してきたことに由来します。高価な馬の代わりに、板に馬の絵を描いて奉納したのが絵馬のはじまり。
神馬の奉納は奈良時代にはおこなわれていたため、絵馬にも長い歴史があると推定されてきました。
それが証明されたのが、2013年4月に岡山県の鹿田遺跡から出土した2枚の絵馬。奈良時代末(8世紀後半)の井戸から見つかったため、最古の絵馬として話題を呼びました。
注目したいのはその形状。
2枚の絵馬は、いずれも約20cm×13cmの長方形の板を横長に使い、馬や牛が描かれ上部に穴が開いていたそう。
大きさといい動物の描き方といい、今と大差がないように思えます。絵馬は、その形をほとんど変えずに1300年以上も前から使われてきたことになります。
鹿田遺跡の絵馬は、井戸を埋める際の祭祀的な行為に使われたものだと考えられていますが、神社ではいつから絵馬が奉納されるようになったのでしょうか?
神社と絵馬をつなぐ古い記録が残るのは「絵馬発祥の社」とされる、京都の貴船神社(きふねじんじゃ)。
水の神さまを祀る貴船神社では、弘仁9年(818年)に第52代嵯峨天皇の命により雨乞い祈願がおこなわれました。
雨乞い祈願の2年前には水害、翌年には干害、祈願がおこなわれた年は引き続きの干害があり、作物が育たず餓死者が続出していました。
雨が降りすぎても、降らなくても、人々が飢える厳しい時代。
雨乞い祈願以降、貴船神社では日照りが続くときは黒馬を、長雨のときは白馬または赤馬を神さまに献上して天候の安定を願っていました。
そのうちに生きた馬の代わりに、板を馬の形に切り抜いた「板立馬」が奉納されるようになり、神社の絵馬の起源になりました。
さらに時を経て江戸時代には、絵馬に願いを託して寺社に奉納するのが庶民の間にも広まり、馬以外に願いごとにからめた絵や文字が書かれた絵馬が登場するようになりました。
現在の絵馬は、「○○大学絶対合格!」などの願いごとにくわえて名前と住所を書くのが一般的。
でも、個人を特定できる情報を書くことに抵抗感がある人も多いかもしれません。
名前と住所は必ず書かなければならないのでしょうか?
貴船神社に問い合わせると「特に決まりはありません。最近はイニシャルで書いている方も多いですよ」との回答。「書き方よりも、気持ちがこもっているのが大切です」と教えていただきました。
一方、「絵馬に名前や住所を書くのは、厄除け・安産などの祈願で名前やお住まいを神職が奏上するのと同じこと」と教えてくださったのは学問の神さま太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の広報の方。
「個人情報を書くのが気になるなら、住所は詳しく書かなくてもいいかもしれません」という現実的なアドバイスもいただきました。
願いごとの書き方についても同様で、「絶対合格!」と言い切っても「合格しますように」としてもOK。正しい書き方の正解は「気持ちをこめて書く」ということにつきるようです。
書き方よりも大切にしたいのがお礼参り。
人に何かをしてもらったらお礼をするのが当たり前であるように、神社にも御礼参りという慣例があります。お礼参りの方法は「手を合わせてお参りするだけでもいいですし、絵馬に書いてお伝えしてもいい」そう。
「お願いしっぱなし」の状態では、次のお願いごとはスルーされてしまうかもしれません。