ふたりを結んだ縁結びの榎。 木の下に立つ人を守るように枝を伸ばす森のような巨樹は、京都市天然記念物に指定されています。
龍馬とおりょうの姿が描かれた 縁結びお守りや縁結び・夫婦円満を願う絵馬も授与されています。
木に刻まれた 龍馬のラブレター 京都・武信稲荷神社
京都、三条通沿いに建つ武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)の境内には、樹齢850年といわれる榎(えのき)があります。この榎には弁財天が宿るといわれており、弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神さまとして知られています。 龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を授かったのでしょうか。龍馬が命を狙われおりょうと離ればなれになってしまったとき、ふたりがよく会っていた榎に、おりょうへの伝言として龍馬が「龍」の字を刻んだと伝えられています。生死さえわからない龍馬を思いながら榎に足を向けたおりょうが、「龍」の字を発見したとき、どんなに驚き喜んだことでしょう。 「龍」の字は、木の生長とともに消えてしまいましたが、ふたりの強い絆にあやかろうと木の幹に手をあて良縁を願う人が毎日のように訪れているそうです。
龍馬とおりょうが参拝した、 霧島神宮の勅使殿(ちょくしでん)。
龍馬が大胆にも引き抜いて見せた、 高千穂峰頂上にある天之逆鉾(あめのさかほこ)。
龍馬とおりょうが 旅した霊峰 鹿児島・霧島神宮
入浴中に外の不穏な気配に気づいたおりょうが、風呂を飛び出して2階にいた坂本龍馬らに知らせるたことで、龍馬は命を救われる・・・。有名な寺田屋事件の後、療養をかねてふたりが向かった先が鹿児島県、霧島。 日本最初の新婚旅行ともいわれるこの旅は、『龍馬伝』では、第3部のクライマックスとして描かれていました。霧島山の頂上・高千穂峰で、「日本を変える!」と誓う龍馬を福山雅治が熱演したシーンが目に焼き付いている人も多いのではないでしょうか。 この霊峰への旧登山道の入り口に建つのが霧島神宮(きりしまじんぐう)。ふたりが通ったとされる古い石畳の登山道や、姉の乙女に綴った手紙に書かれた「古い雅な社」も残されています。 御祭神は、天から国をおさめるために高千穂峰に降臨したとされるニニギノミコトと后のコノハナサクヤヒメノミコトを始めとするニニギノミコトの家族の神々。ふたりは、新婚旅行で偶然にも夫婦の神さまを祀る神社を参拝していたことになります。
木々に囲まれた愛宕神社。 都心とは思えない静かな雰囲気はパワースポットとしても人気。
勝と西郷が見下ろした 最後の江戸 東京・愛宕神社
1867年11月9日、坂本龍馬が土佐藩に進言していた大政奉還が行われました。そのわずか6日後、龍馬は京都の近江屋で暗殺され33歳にわたる波瀾万丈な人生を閉じることになります。 年が明けて、3月。江戸城が無血開城され300年以上にわたった江戸時代も終わりを告げます。この無血開城を決めたのが、龍馬の人生に深く関わってきた勝海舟と西郷隆盛です。 徳川の重役である勝と、江戸城進撃の強硬派だった西郷は、旧知の間であるものの江戸城を巡り敵対する立場にありました。 勝と西郷の江戸開城をめぐる会談の1日目、ふたりは愛宕神社(あたごじんじゃ)のある愛宕山に登ったと言われています。当時、愛宕神社のある愛宕山は江戸を見渡すビュースポット。広く発展した江戸の街を見渡したふたりが「江戸を消失するにはしのびない」と話し合い無血開城を決めたと伝えられています。 今はビルに囲まれ当時ほどの眺望はのぞめませんが、勝と西郷が訪れたときと変わらないような静かな空気が流れています。
どこ行く?『龍馬伝』登場人物ゆかりの神社
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坂本竜馬と同時代に生きた 吉田松陰を祀る |
東京・世田谷区 |
松陰神社 (しょういんじんじゃ) |
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勝海舟が渡米前に 断食修行した地 |
神奈川・横須賀市 |
叶神社 (かのうじんじゃ) |
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その他の『龍馬伝』登場人物ゆかりの神社
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