1.甲府盆地を見渡す 武田信玄公の居城跡 〜 武田神社
2.「謀神」毛利元就の氏神さま 〜 清神社
3.徳川家康のルーツに出会える 〜 静岡浅間神社
4.どこ行く?戦国武将ゆかりの神社
5.その他の戦国武将ゆかりの神社
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■甲府盆地を見渡す
武田信玄公の居城跡 〜 武田神社
戦国時代の最強武将の一人で「甲斐の虎」と呼ばれていた武田信玄公。
21歳で領主になって以来、数多くの戦により領土を着実に広げ、同時に大規模な治水工事や農業、商業の振興など政治にも力を注いだことから、領民思いの武将として今も山梨では深く敬愛されています。
その信玄公が居城にしていた躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)の跡地に鎮座するのが、山梨県甲府市の武田神社(たけだじんじゃ)。
社伝によると、大正4年(1915)、大正天皇のご即位に際し信玄公墓前に従三位追贈(じゅさんみついぞう)が奉告されたことから、県民に武田神社創建の気運が沸き上がり大正8年には社殿が竣工されたそう。
御祭神は、信玄公ご本人。戦に強かったことから「勝運」の御利益が伝えられています。堀を渡り階段を上れば、甲府駅北口まで続く直線道路が一望のもと。甲府の町が、武田家の城下町として栄えたことが一目で見て取れるでしょう。
「武田氏館跡」として国の史跡にも指定されている境内は、当時からの堀や石垣、古井戸が残されています。なかでも姫の井戸は、今もきれいな水が湧き、お水をいただくことができる井戸。信玄公のご息女が産湯を使ったことから名付けられ、館の暮らしの中心になる場所にあったとされています。延命長寿、万病退散の御神徳が伝わるので、ペットボトル持参で訪れましょう。
拝殿の隣には、武田家ゆかりの品々を所蔵する宝物殿があります。
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■「謀神」毛利元就の氏神さま
〜 清神社
武田信玄公が「戦国最強の武将」のひとりとされているのに対し、「戦国最高の知将」といわれている頭脳派が毛利元就公。後世に「謀神」という異名を付けられるほど謀略をはりめぐらせ、晩年には中国地方をほぼ手中におさめていました。
その元就公が篤く崇敬していたのが、毛利家のお膝元である広島県安芸高田市の清神社(すがじんじゃ)です。
清神社は、神代の創建とされる歴史ある社。御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)を主祭神に五男三女神を祀っています。スサノオノミコトが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した舞台とされ、退治後にスサノオノミコトが「吾が心清清(すがすが)し」と言われたことにちなんで神社名が名付けられたと伝わっています。
元就公も、力強く英雄的なスサノオノミコトに魅せられたのでしょうか。
毛利氏が崇敬したことを示すものとして、元就公をはじめ、隆元公・輝元公など毛利氏一族の名前が入った棟札(社寺などの建築の記念として建物内部に取り付けた札)や、元就寄進の刀などが残されています。
そして何より、元就公の養母・杉大方を祀る椙若社も見逃せません。杉大方は、元就公の父・弘元公の継室でしたが、弘元公死後に城を追い出された元就公を見かねて若い身空で養母になった女性。
「乞食若殿」と笑われた不遇の幼少期を支えたため、元就公に大きな影響を与えたといわれています。
老獪な策士という印象のある元就公ですが、養母に思いを寄せる人間的な一面を、椙若社から感じることができそうです。
サンフレッチェ広島も必勝祈願に訪れる、勝利の神さま。
拝殿の前には樹齢800年余を数える5本の大杉が。初めての参拝者が必ず驚くほどの大樹です。
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■徳川家康のルーツに出会える
〜 静岡浅間神社
最後に登場するのは、戦国時代一の有名人・徳川家康公ゆかりの神社、静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)です。
家康と静岡浅間神社の縁は、家康公がまだ幼名・竹千代として呼ばれていた時代にさかのぼります。家康公が幼少時代から19歳まで12年間を過ごしたのは、実父から人質として差し出された駿府の今川家。今川家の氏神が静岡浅間神社だったことから、家康公は今川義元公を烏帽子親(後見人的な意味を持つ名付け親)として静岡浅間神社で元服をしています。
天正9年(1582)には武田家攻略にあたり戦勝を祈願した上で、なんと戦時の重要拠点であった静岡浅間神社を焼き払っています。家康公は、戦乱の世が治まった際には必ず再建することを誓っていたそうで、慶長年間(1596〜1615)に造営を開始。徳川幕府の祈願所としても定めており、明治維新まで幕府の庇護を受けていました。
今の社殿は、11代将軍家斉の時代に幕府直営工事として日本中から著名な職人を集め大金をかけて造営したもの。
漆塗り極彩色の社殿は、今でもまばゆいほど豪華絢爛。随所に散りばめられた色鮮やかな彫刻も見事で「東海の日光」とも称されています。
ちなみに家康公が晩年を過ごした駿府城跡は、神社から徒歩10分ほど。二の丸部分が駿府公園として整備され、一部は復元されているので参拝のついでに訪ねてみるのもよさそうです。
きらびやかな総漆塗の楼門がお出迎え。国の重要文化財指定。
高さ25m、132畳敷きの殿内を持つ重要文化財の大拝殿。色鮮やかな彫刻にも注目!
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■どこ行く?戦国武将ゆかりの神社
◆〈上杉謙信〉
米沢城趾に鎮座。上杉家の
家訓が刻まれた石碑もある
山形・米沢市
上杉神社(うえすぎじんじゃ)
◆〈柴田勝家〉
北の庄城天守閣の
跡地に勝家公を祀る
福井・福井市
柴田神社(しばたじんじゃ)
◆〈徳川家康〉
家康公を祀った
最初の神社
静岡・静岡市
久能山東照宮(くのうさんとうしょうぐう)
◆〈豊臣秀吉〉
御祭神・秀吉公は、
出世の神さまとして有名
大阪・大阪市中央区
豊國神社(ほうこくじんじゃ)
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■その他の戦国武将ゆかりの神社
■栃木・日光市/日光東照宮・にっこうとうしょうぐう(徳川家康を祀る)
■山梨・韮崎市/武田八幡宮・たけだはちまんぐう(本殿を信玄公が再建)
■山梨・富士河口湖町/冨士御室浅間神社(武田家の祈願所)
■静岡・御殿場市/吾妻神社・あがつまじんじゃ(徳川家康公の御殿跡)
■愛知・岡崎市/六所神社・ろくしょじんじゃ(徳川家康公の産土神)
■石川・金沢市/尾山神社・おやまじんじゃ(前田利家公・おまつの方を祀る)
■京都・京都市北区/建勲神社・たけいさおじんじゃ(織田信長公を祀る)
■高知・四万十町/高岡神社・たかおかじんじゃ(長宗我部元親の棟札がある)
■福岡・下関市/住吉神社・すみよしじんじゃ(毛利元就寄進の拝殿)
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