Q11. 節分は神事だったって本当?
立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分といいます。
現在は立春の前日の節分、2月3日が特別に大きく扱われていて、家庭で、神社で、
寺院で「鬼は外、福は内」という掛け声とともに煎った大豆が撒かれます。
じつはこの行事、日本の神事と中国の宮廷の儀式が合体してできたものです。
日本では昔から農耕との関係上、立春の前日の節分をとくに重んじていて、
「春の初めには神が訪れて祝福を与えてくれる」という素朴な信仰が息づいていました。
この節分の日にはいくつかの行事が行われていましたが、そのなかに米を撒いて魔を払う儀式と、
豆占いがありました。豆占いとは炉端に焼いた大豆を並べて、その焼け具合によって、以後の
天候を占う農耕のための占いです。豆占いも、米による魔除けも、節分という
神が訪れる日だからこそおこなわれた儀式でした。
続いて、中国の儀式を見てみましょう。
これは追儺の儀式といい、別名、鬼やらいと呼ばれるものです。
鬼に扮装した者を桃の弓、葦の矢で追い払う儀式で、大晦日の夜におこなわれました。
鬼は疫病・災難・天災など悪しきことの象徴。つまり「翌年は平穏なれ」という願いを込めて
おこなわれた儀式でした。
この追儺の儀式が日本に伝わったのが、7世紀の末ころ。最初、宮中でおこなわれていましたが、
しだいに民間にも広がって行きました。そして、室町時代のころ、日本式節分が生まれます。
日本式節分誕生の詳細な理由は不明ですが、年に1度訪れる神、米を撒くことによる魔除け、
大豆による豆占い、災難の象徴としての鬼の払い、という4点が合体した結果、
生まれたのではないかと思われます。
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