車折神社

■御祭神
車折神社  清原頼業公(きよはら よりなり)
清めの社(境内末社)  悪運・悪因縁を浄化するパワースポット
芸能神社(境内末社)  天宇受売命(あめのうずめのみこと)

■由緒・由来
ご由緒・ご利益

 ご祭神・清原頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。  
 頼業公は大外記の職を24年間も任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程です。頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。  
 また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになりました。  
 ご利益としましては、頼業公のご学徳により学業成就・試験合格はもとより、「約束を違えないこと」をお守り下さる霊験あらたかな神様として全国的に強い信仰があります。  
 例えば、商売をなさっている方においては、様々な約束事や契約が守られることにより、集金(売掛回収)が滞りなく進み、経営が都合よく運ぶ御加護(商売繁昌・会社隆昌)がいただけます。  
 同様に一般のご家庭においても、お金のやり繰りが都合よく運び、生活が豊かになり、お金に不自由しない御加護(金運・財運向上)がいただけます。  
 更に恋愛・結婚においても、様々な約束事や誓いが守られ、順調に成就・進行する御加護(良縁成就・恋愛成就)がいただけ、ご社頭には遠近からお参りする人々が絶えません。  
 また、当社の境内末社「清めの社(きよめのやしろ)」は浄化のパワースポットとして、「祈念神石」は願い事を叶えるパワーストーンとして知られ、近年はTV・雑誌等で紹介されています。


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